信楽焼
信楽焼 |
しがらきやき |
陶磁器 |
花器、食器、傘立、置物、植木鉢、庭園用品 |
天平時代に聖武天皇が紫香楽宮(しがらきのみや)を造るにあたって、瓦を焼いたのが始まりといわれ、日本六古窯の1つに数えられています。鎌倉時代には水がめや種壷が作られ、室町・安土桃山時代には茶道具の生産が盛んとなり、多くの名品が生まれました。 江戸時代には登り窯によって、茶壷をはじめ多種多様な生活雑器が作られました。大正時代から第二次大戦前までは火鉢が主力商品でしたが、現在では生活に根ざしたタイル・花器・食器・置物等、土の持つ味わいを生かした製品が作られています。 |
滋賀県 |
昭和50年9月4日 |
陶土の特性を生かした大物陶器が多く作られています。登り窯や穴窯を使って焼くため、窯の中で素地の表面に、燃やしている薪の灰が付いて溶け釉薬(ゆうやく)の役割りを果たす自然釉(しぜんゆう)や、陶器の表面に現れる「火色」と呼ばれる赤いまだら模様、焼けた薪から出る灰が落ちて表面に溶け付く「灰かぶり」等の特徴があります。素朴な土の味わいがポイントです。 |
信楽焼
信楽焼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 01:07 UTC 版)
信楽焼(しがらきやき)は、滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる陶器で、日本六古窯のひとつに数えられる。一般には狸の置物が著名であるが、後述のように多様な発展を遂げている。中世に生産された蹲(うずくまる)でも知られる。
- ^ “信楽”. 六古窯日本遺産活用協議会. 2019年6月26日閲覧。
- ^ 甲賀市史 第8巻 甲賀市事典. 甲賀市. (2016年12月12日). pp. 390-393
- ^ “他抜く愛敬 名陶の里 信楽高原鉄道”. 朝日新聞社DIGITAL. 2019年7月5日閲覧。
- ^ “信楽陶器”. 滋賀県 (2008年8月19日). 2013年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月25日閲覧。
- ^ 「信楽焼二割安 生産も昨年の約七割」『日本経済新聞』昭和25年12月8日3面
- ^ a b c 朝日新聞2019年10月28日朝刊、天声人語
- ^ 朝ドラ『スカーレット』の原点。信楽の火と土が、ここまで私を生かしてくれた〈神山清子の半生・後編〉 婦人公論 2019年11月15日、2019年12月15日閲覧
- ^ 近代化産業遺産群33. 経済産業省. (2007)
- ^ 衛藤達生; 金澤恵子 (2017年1月29日). “日本遺産認定、県内から2件 忍びの里、甲賀・三重県伊賀 きっと恋する六古窯、甲賀など6市町 /滋賀”. 毎日新聞 2017年4月29日 地方版 2019年6月26日閲覧。
- ^ 信楽の都市創造性と社会デザイン:自然と都市と市民知に関する文化編集分析. 大阪市立大学 都市研究プラザ. (2014-12-25). p. 18 2019年7月5日閲覧。
- ^ おいでやす狸楽巣、信楽町長野・新宮神社・昭和天皇の歌碑
- ^ 信楽豆知識、ほっとする信楽、信楽町観光協会
- ^ “信楽巨大タヌキ、魔女に化ける…帽子に紫のマント”. 読売新聞 (2019年10月19日). 2019年10月19日閲覧。
- ^ “信楽たぬきの日”. 信楽町観光協会 (2019年). 2020年7月3日閲覧。
- 1 信楽焼とは
- 2 信楽焼の概要
- 3 歴史
- 4 特徴
- 5 文化財、関連施設
信楽焼(滋賀県甲賀市信楽)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 15:08 UTC 版)
「登り窯」の記事における「信楽焼(滋賀県甲賀市信楽)」の解説
日本六古窯のひとつであり、中世末期頃より窖窯によって壺、甕、擂鉢などの焼き物づくりが始められた。近世では茶器も多くつくられ、幕末には陶器製灯明具の一大産地であった。
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「信楽焼」の例文・使い方・用例・文例
- 信楽焼という陶器
信楽焼と同じ種類の言葉
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