保留地での生活とは? わかりやすく解説

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保留地での生活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 01:02 UTC 版)

シッティング・ブル」の記事における「保留地での生活」の解説

1883年タタンカ・イヨタケ北西510キロメートルミズーリ川沿いのスタンディングロック保留地管理事務所移送された。この保留地監督官ジェームズ・マクローリンという、白人スー族混血の妻を持つ男だった。マクローリンタタンカ・イヨタケを非常に警戒していた。彼の影響力をよく知っていたからである。マクローリン事あるごとに彼に干渉した。彼が二人の妻持っていることにも干渉し一人にするよう強要した大戦士は「そんなに言うなら、お前が妻それぞれのところへ行って直接彼女ら言えばいだろう」と答えたインディアン社会では結婚離婚も全くの個人の自由であり、他人が口をはさむこと自体マナー違反である。 武装解除され、保留地入ったタタンカ・イヨタケを、白人社会名士扱い始めた白人は彼を「すべてのスー族大指導者」だと思い込んでいるからアパッチ族ジェロニモをそう扱ったように、彼を見世物として面白がったのである1884年9月、彼は「部族窮状大統領直訴できる」とのアルバレン・アレンという白人興行主約束乗せられて、合衆国15都市での見世物興行に出かけた。アレンシッティング・ブルを「カスター中佐殺した張本人」と宣伝し、この大戦士が友好的な挨拶述べている横で、これを白人群衆に対してリトルビッグホーンでの身の毛もよだつような話に捏造し紹介した。この興行で、シッティング・ブルは女ガンマンアニー・オークレイの曲撃ち見て感激し、彼女を何度も「ワタンヤ・シシリア」(小さな射撃手)と呼んだ。だが、アレン約束した大統領との会談結局嘘だった。 1885年、バッファロー・ビル・コディの興行野生西部ショー』の地方公演参加したコディアレン違って本当に彼をグロバー・クリーブランド大統領引き合わせたが、「部族窮状訴える」という希望叶えられなかった。ワシントンでの巡業では、ショーを見に来た白人たちに「お前達嘘つきだ。我々の土地盗んだ泥棒だ」と演説した言葉判らない観衆は大拍手でもってこれに応えたシッティング・ブルコディ親友になり、コディ週給50ドル彼に払った公演中シッティング・ブル小銭をせがむ白人児童浮浪者たちに、気前よく銀貨恵んだ。彼が興行引退する際には、コディ灰色の馬とソンブレロ贈った1887年バッファロー・ビル彼にショーロンドン公演同行しビクトリア女王在位50周年式典参加しないかと誘った。しかし「大いなる母」と会えるこの機会を、彼は断り、こう述べている。 「私があちこち歩くことは我々の主張にとって良くない。私はここですることがたくさんある。我々の土地について話すことがたくさんあるのだ。」 合衆国は再び条約破り、西ダコタスー族保留地から、4万平キロメートル土地を、「4000平方キロメートル当たり50セント」という驚くような安値で買い叩こうとしていた。すでに平原には、彼らが命の糧とするバッファローの姿はなかった。白人たちは「悪いインディアン」を滅ぼすために、バッファロー滅ぼしてしまっていた。シッティング・ブル白人のこの提案強く反発し、他の保留地スー族説得した合衆国は買い叩いたスー族土地を、白人入植者に「4000平方キロメートル当たり25ドル」で払い下げようと計画していた。 1888年8月政府役人たちがスー族土地買い叩くためにスタンディングロック管理事務所にやって来た。イェーツ砦で、並みいる合衆国の代表たちを前にシッティング・ブル熱弁をふるい、合衆国脅迫交渉巧みに妨害したため、役人たちが彼に話をさせまいとすることも再三及んだシッティング・ブル酋長たちと合議して結局、ワシチューの持ちかけた土地売却の「受け入れ」か「拒否」か、どちらか書類署名せよとの要求をほぼ全員拒絶した1888年10月15日ワシントンDCで、ジェームズ・マクローリン保留地監督官主導によって、シッティング・ブルスー族代表団60名と内務長官ウィリアム・バイラスとの交渉持たれた。合衆国は「4000平方キロメートル当たり1ドル」まで買い取り価格上げたが、スー族納得しなかった。故郷では保留地監督官怠慢横領によって食糧年金がまとも配給されず、部族員は飢え苦しんでいた。1889年に、合衆国は「4000平方キロメートル当たり1ドル25セント」まで買い取り価格上げ、「ドーズ法に基づき、「スー族世帯主一人当たり130ヘクタール土地付与する」との条件付けられた。また、いつものように白人土地騙し盗られないように、「この土地権利25年間、連邦政府信託保留させる」とした。 この条件下で、スー族合衆国押し切られそれぞれのスー族土地売り渡し合意文書署名したシッティング・ブルはこう怒りの弁を述べている。 「インディアンだって?私の他にはもうインディアン残っていない!」 この「ドーズ法」の「スー族世帯主一人当たり130ヘクタール土地付与する」との条件は、大変な問題はらんでいた。インディアン社会母系であり、財産権そもそも妻が持っていた。しかし、父系社会ルールインディアン押し付け財産権母方から父方に移す合衆国のこの政策は、インディアン社会混乱させ、崩壊させる一大要因となっていくのである

※この「保留地での生活」の解説は、「シッティング・ブル」の解説の一部です。
「保留地での生活」を含む「シッティング・ブル」の記事については、「シッティング・ブル」の概要を参照ください。

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