作家生活と家庭
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1893年4月よりマンは南ドイツ火災保険会社の見習いとして働き始め、その傍ら小説作品の執筆を続けた。10月、処女作品となる短編小説『転落』がライプツィヒの文芸雑誌『社会』に掲載される。この作品によって抒情詩人リヒャルト・デーメルから賛辞の手紙を受け、マンは筆によって立つことを決意、保険会社を辞してミュンヘン工科大学の聴講をしながら作品の執筆を行った。この頃にショーペンハウアー、ニーチェの哲学に興味を持つ。1896年より『幸福への意志』『幻滅』『小フリーデマン氏』『ルイスヒェン』など一連の短編作品を発表、1898年に最初の短編集『小フリーデマン氏』が出版される。 1897年夏、マンは兄ハインリヒとともにローマに滞在し、兄弟で合作絵本などを作っているうち、一家の歴史を題材にした小説を共同で書くことを思い立った。この思いつきに兄は次第に興味を失っていったが、マンはその後多数の親戚を訪れて証言を取り、10月に執筆に取り掛かった。2年半の執筆期間を経て1901年5月、11部からなる長編『ブッデンブローク家の人々』が完成。翌年10月に出版されると広く読者を集め、第一次大戦前までにはデンマーク語、スウェーデン語、オランダ語、チェコ語に訳されるベストセラーとなった。『ブッデンブローク家の人々』はその後1929年にノーベル文学賞を与えられた際に受賞理由として挙げられている。1903年代表作の一つ『トーニオ・クレーガー』発表。 1905年、ミュンヘン大学に務めるユダヤ系の数学教授の娘で当時学生だったカタリーナ・プリングスハイム(愛称カティア Katia またはカトヤ Katja)と結婚。その後彼女との間にエーリカ(de:Erika Mann)、クラウス(作家)、ゴーロ(de:Golo Mann、歴史家)、モーニカ(de:Monika Mann)、エリーザベト(de:Elisabeth Mann、ピアニスト)、ミヒャエル (de:Michael Mann、ヴァイオリニスト)の6子をもうけた。マンは朝9時から3時間を執筆時間に当て、マン家ではこの3時間を「魔術師の時間」と呼び静寂を保つように務めたという。 1910年、ミュンヘンでグスタフ・マーラーの『交響曲第8番』初演を聴き、マーラー自身と知り合う。翌年、マーラーが死去した直後にヴェネチアを旅行。1912年にマーラーの死に触発されて書かれた中編『ヴェニスに死す』を発表する。
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