伊豆大島火山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 04:08 UTC 版)
現在活動している伊豆大島火山は、古期火山群を覆って4〜5万年前に活動を開始したと考えられている。その時の堆積物は岡田から泉津にかけての海食崖に露出している凝灰角礫岩を主とする地層で玄武岩溶岩流を伴う。浅い海底でのマグマ水蒸気爆発による堆積物と考えられている。 成長を続けた伊豆大島火山は、およそ2万年前頃に現在とほぼ同じような陸上の火山活動に移行し、主に玄武岩質の火砕物、溶岩流の互層からなる成層火山体を形成した。島内南西部都道沿いの地層大切断面に見られる火砕物層は、約2万年間に堆積した主に降下スコリア、火山灰からなる地層で、2万年前から現在まで100回以上の噴火活動が認められる。多くの側噴火も発生した。歌にも歌われた波浮港も9世紀に形成された側火山の一つである。側噴火はほぼ全て北北西-南南東方向の割れ目火口から噴出しており、伊豆大島が北北西-南南東方向に延びた形をしているのもそのためである。 約1700年前に噴火(S2.0噴火)に引き続いて山頂部で発生した大規模なマグマ水蒸気爆発により、現在山頂部に見られるカルデラ地形が作られたと考えられている。この時には低温の火砕流(火砕物密度流)が発生し、ほぼ全島を覆った。その後、少なくとも10回の大規模噴火(噴出量数億トン以上)が発生しており、西暦860年前後のN1.0噴火、1421年の応永(Y4.0)噴火、1552年の天文(Y3.0)噴火、1684年-1690年の天和(Y2.0)噴火、1777年-1792年の安永(Y1.0)噴火はマグマ噴出量が0.1 DRE km3を超える大規模な噴火であったと推定されている。最近2万年間の平均マグマ噴出量は約1.6 DRE km3/千年となっている。 歴史噴火記録が十分残されている大規模噴火として、1777-78年の「安永の噴火」がある。1777年8月末にカルデラ内の山頂火口から噴火が始まり、火山毛、スコリアの降下があった。山頂噴火活動は比較的穏やかだったが、翌1778年2月末頃まで続いた。同年4月19日から激しい噴火が始まり、降下スコリアが厚く堆積し、溶岩の流出が起こった。この時の溶岩流は北東方向に細く流れ、泉津地区の波治加麻神社付近まで流れ下った。5月末頃には噴火は沈静化した。10月中旬頃から再び噴火が激しくなり、11月に再び溶岩の流出が起こった。この時の溶岩流は三原山南西方向にカルデラを超えて流れ下ったほか、やや遅れて北東方向にも流れ、現在の大島公園付近で海に達した。溶岩の流出などは年内には収まったが、1783年から大量の火山灰を噴出する活動が始まり、1792年まで噴火が続いた。この時に降り積もった火山灰の厚さは中腹で1m以上に達し、人家、家畜、農作物に大打撃を与えた。
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