主張等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 00:52 UTC 版)
評論などで日本語、漢字、漢文訓読文について述べている。 「支那」という用語が使えなくなった経緯について調査し、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』収録の「『支那』はわるいことばだろうか」にまとめ(詳細は「支那」参照)、チャイナを表す用語として使用するのは問題ないとしている。 『漢字と日本人』において、「漢字は本来、シナ語を表記するための言葉であり、日本語を表記するのには適さない。もし中国の言語・文字が入ってこなければ日本語は健全に成熟し、いずれ、やまとことばに適した文字を生み出していたに違いない。それが、まったく違う言葉と文字の『侵入』によって、日本語は発育を阻止され、音だけでは意味が通じない、文字を見なければ伝達できない言葉ができあがってしまった」、「そのため、日本語本来のやまとことば(和語)を表記するのに漢字を使うのは不自然である。まして、やまとことばを漢字で表記する際に複数の漢字の候補がある場合、『どの漢字が正しいのか』と議論するなど滑稽きわまりない」としている。ただし、上記の理由から、漢字なしでは論理的かつ効率的な文章を構成することもできないとして、漢字廃止論も否定している。また、単語や文章の意味が変わったり、不明になったりすることから、旧字体を新字体に置き換えることを批判している。 白川静の漢字学について、白川と藤堂明保との論争を分析した『お言葉ですが…別巻3』において、白川の漢字学を「いたって程度の低いもの」と批判している。 『漱石の夏やすみ』において漱石の漢文作品「木屑録」を現代語訳し、今日でも使われている漢文の読み下し「漢文訓読文」は江戸末期に成立した日本語として半端なものであるとしている。 中国史に関連して次のような主張をしている 『中国の大盗賊』において、「中国の王朝末期に起こる反乱軍は、多数の流民をひきつれた『盗賊』であり、その最終勝者が次の王朝を開く。毛沢東の共産革命軍もその一種だ」と論じた。なお、同書でいう『盗賊』とは盗人ではなく、在野の武装組織の意である。 『お言葉ですが―別巻2』に収録された論文「宋江実録」において、『水滸伝』作中の首領である宋江が実際に「方臘の乱平定戦に参加した」と史料にあるが、これは『水滸伝』を読んだ後世の文人によって加筆されたものであると論じている。 文芸について次のような評論をしている。 『メルヘン誕生』において、向田邦子の代表作『父の詫び状』の舞台となっている家庭環境が「戦前の標準的な家庭」として描かれていて、一般からもそう受け取られているが、実は非常にエリートの特殊なものであると論じている。 『しくじった皇帝たち』の後半で、幸田露伴後期の名作とされる歴史小説『運命』を批判して「漢文の原作をただ、漢文調で翻訳したのみであり、文学的な価値はない」とし、返す刀で露伴を賞賛している著名人たちをも酷評している。 野口武彦の中国語版『忠臣蔵』を「言葉の使い方がおかしい」と指摘し、「這一本所說的是。有一位諸侯。為一件鬥毆上特特送了性命。(この本が物語るのは、ある高位の諸侯が特上の暴力によって命を落としたお話である。)」とすべきと主張した。
※この「主張等」の解説は、「高島俊男」の解説の一部です。
「主張等」を含む「高島俊男」の記事については、「高島俊男」の概要を参照ください。
- 主張等のページへのリンク