主な事蹟
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台湾 ペスト菌を確認 1896年(明治29年)、岡田は台湾の台南部隊附軍医の依頼により安平港に寄港したジャンク船病死者の調査を行った。その前々年の1894年(明治27年)に北里柴三郎およびフランス人細菌学者アレクサンドル・エルザン (Yersen) が相次いでペスト病原菌発見を発表していた。岡田は検査の結果、この内エルザンが発見した菌(通称・エルザン菌)を検出した旨、10月12日東京医学会に発表した。日本領土内でのペスト菌確認はこれが最初であり、この確認を契機に台湾での防疫体制が整えられていった。 陸軍衛生事蹟編纂 1896年(明治29年)12月16日、日清戦争における戦時の衛生・医療行為をまとめた「明治二十七八年役陸軍衛生事蹟」の編纂を委員として行う(1901年(明治34年)12月17日解任)。 陸軍薬局方(第二版)編纂 1897年(明治30年)10月8日、「陸軍薬局方(第二版)」の編纂を委員として行う(1898年(明治31年)5月30日復命をもって修了)。
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主な事蹟
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会津磐梯山噴火被災者医療救護活動 1888年(明治21年)7月15日午前7時、福島県にある磐梯山が噴火し約500名の人命を奪った。東京帝国大学外科では宇野朗以下を救護隊として派遣することとなり、当時夏休み中であった大学院生の芳賀栄次郎と徳寛が自主的に救護隊に加わった。被災負傷者収容所がある猪苗代町にて10日間救護治療を行った。徳寛等の活動は災害ボランティアの先駆けと呼ばれている。 財団法人千葉医学専門学校奨学会(現 財団法人猪之鼻奨学会) 財団法人猪之鼻奨学会は、1915年(大正4年)11月の千葉医学専門学校奨学会として設立した。設立趣意書には、「第一次世界大戦勃発にあたり、輸入に頼っていた医薬、機器等の途絶に遇って、わが国の医薬学振興の必要を痛感し、時あたかも大正天皇ご即位大礼に際会したので、その記念を呼号して学内外に奨学会設立を呼びかけた」(発起人千葉医学専門学校長三輪徳寛 他378名)。三輪徳寛千葉医学専門学校在職25年を記念し校内に銅像建立の話があったが、医薬学振興の喫緊なことを痛感していた徳寛は、銅像建立を拒否し医学振興のための財団作りを企図して学内外に資金協力を呼びかけた。奨学会設立1年後には会員総数1,131名に達し、1942年(昭和17年)には利子により会を運営するという当初の壮大な目標を達成することができた。事業費は研究補助・表彰・学資の貸与等や、時に大学敷地の一部購入資金として大学に貸与も行われた。1920年(大正9年)11月財団法人猪之鼻奨学会に改名された。現在も千葉大学医学部における研究助成金や千葉県内の大学医学部・薬学部在籍者向け奨学金貸与事業を行っている。
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