下関戦争と光明寺党、奇兵隊とは? わかりやすく解説

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下関戦争と光明寺党、奇兵隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 03:01 UTC 版)

久坂玄瑞」の記事における「下関戦争と光明寺党、奇兵隊」の解説

文久2年12月、玄瑞は再び佐久間象山訪ねるため、水戸経て信州入った象山長州藩招聘するめだったが、象山辞退した。しかし象山は、玄瑞を数日滞在させて助言与える。翌文久3年正月に、この助言藩主詳しく説明したところから、伊藤俊輔井上聞多らの藩費によるイギリス留学実現した文久3年1863年1月27日京都翠紅館にて各藩士と会合する2月21日には朝廷攘夷決定にもかかわらず幕府因循しているのため、玄瑞は関白鷹司輔煕の邸に推参建白書提出し攘夷期限確定求めたまた、京都藩邸御用掛として攘夷祈願行幸画策した。これらが実現し朝廷指導長州握ることとなった幕府朝廷御親兵をおくこと、攘夷期限定めることを認めざるを得なくなり3月には幕府より奉勅攘夷決定列藩布告され4月には攘夷期日5月10日とする勅令が発せられた。 4月25日、玄瑞は帰藩し、5月10日関門海峡通航する外国船を砲撃する準備整えるため、50人の同志率いて馬関光明寺本陣とし、光明寺党を結成した光明寺党は、他藩の士や身分とらわれない草莽の士を糾合したものであり、その行動は藩意識超脱したものだった。これを長州藩玄関たる馬関の地で実行した。 この光明寺党が後の奇兵隊前身となる。玄瑞は公卿中山忠光首領として、久留米藩真木和泉加え士卒意気高めた5月10日から外国砲撃実行移した外国艦船砲撃事件)。 長州藩アメリカ商船ベンブローク、フランス軍艦キャンシャン、オランダメデューサへの攻撃行ったが、長州藩砲台では海峡反対側を通る船舶には弾が届かないことが判明したため、玄瑞は、かつて松陰書いた水陸戦略』の「海戦奇なり、陸戦正なり、……夜中など賊船に潜み近づき船腹打ち貫き候様の術、……」に倣い夜中に船で近づいて攻撃するという戦法実行した。 この戦いで長州藩海防上の問題旧式青銅砲射程短く外国間の報復攻撃の際に、門司側が無防備では十分な反撃できないということ)が明らかになった。また、5月20日朝廷攘夷急進派中心人物長州藩の最も重要な後ろ盾であった姉小路公知国事参政が、何者かに暗殺された。そのため藩は5月28日朝廷へのパイプの太い玄瑞を、朝廷への攘夷報告対岸小倉藩協力要請のための使者に伴わせて京都に向かわせた。 6月1日、玄瑞ら長州藩朝廷攘夷報告をし、朝廷から藩主への褒め詞賜った3日には、朝廷から各藩への攘夷趣旨貫徹下達請願した朝廷は、5日小倉藩通達6日には列藩に対して攘夷趣旨伝えられた。 攘夷実行同時に起きた京都政界急変対応するため、入江九一除き光明寺党の中核をなしていた玄瑞、寺島忠三郎吉田稔麿野村靖松下村塾門人たちはみな、京都山口馬関の間を駆け巡らなければならなくなった。 玄瑞が京都東上した頃、光明寺党の幹部真木和泉中山忠光白石正一郎らが話し合い新しい隊を結成することとなった光明寺党を基として、足軽農民町人工匠等の希望者を募って、隊づくりが進行した。 しかし、玄瑞が京都政治活動中の6月1日5日長州藩は、アメリカ艦、フランス艦から報復攻撃を受け、長州藩軍艦2隻が撃沈砲台破壊され、寺、民家焼かれた。玄瑞不在代理として藩は6月5日討幕挙兵唱えて謹慎であった高杉晋作馬関防衛命じ6月6日晋作現地赴任し奇兵隊総管となった。『奇兵隊日記』によると、光明寺党が奇兵隊へ名称変更したのは、晋作着任以前のことであることがわかる。

※この「下関戦争と光明寺党、奇兵隊」の解説は、「久坂玄瑞」の解説の一部です。
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