下関方地上設備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:37 UTC 版)
「関門トンネル (山陽本線)」の記事における「下関方地上設備」の解説
下関方の作業場所は、彦島の弟子待に建設された。1937年(昭和12年)1月6日に、現地の民家を借り受けて弟子待見張所(のちに弟子待出張所)が設置され、諸建物類の建設を行って8月下旬に竣功した。各種の倉庫、労務者の宿舎、機械類の修理工場、削岩機修理工場、木工所、コンクリート混和設備などが建設された。セメントやズリの運搬には川崎車輛製の蓄電池式機関車を4両使用し、軌間は坑内・坑外ともに610ミリメートルとした。現地付近の海底が浅く浚渫も困難であったことから、ズリを船舶で運び出すことは困難とされ、現地付近でズリを処分することになった。当初は出張所敷地内の建物用地の埋立造成にズリを利用し、それが完了すると出張所から約600メートル離れた水田を埋め立てる契約をして捨て場とした。 坑内で消費する圧縮空気を供給するために、空気圧縮機を設置した。日立製作所製150馬力のものを3台設置したが、次第に空気消費量が増大したため、インガーソル・ランド(英語版)製の150馬力のものと75馬力のものを順次増設した。また立坑にはエレベーターを設置した。試掘坑道用の立坑エレベーターは三菱電機製で、昇降距離55メートル、最大荷重3トン、電動機30馬力であった。下り線用の立坑エレベーターは、6トンの能力のものが必要と計算されたが、当時日本ではこの規模のものの製作が難しかった。しかし為替の都合などから輸入も難しいとされたため、三菱電機が新たに開発を行って当時の日本で最大規模のエレベーターを完成させた。昇降距離39.44メートル、最大荷重6トン、電動機60馬力のものを2組設備した。上り線用には下り線用のものを移設して使用した。 弟子待出張所は離島の彦島にあり、当時は民間の小船舶が本土との間を運航していたが、少しの時化でも欠航して不便な状態であった。機材の運搬は船に拠らなければならなかったので、弟子待出張所の海岸に桟橋を建設し運用した。
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