上院外交委員会委員長として
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「ジョー・バイデン」の記事における「上院外交委員会委員長として」の解説
病気から復帰後、バイデンは再び上院議員として活躍した。1991年1月の湾岸戦争に反対票を投じた。民主党上院議員55人のうち45人と同じ立場に立ち、湾岸戦争連合軍(英語版)における負担をほとんどすべてアメリカが負わされているとして反対した。 1991年にはクロアチア紛争におけるセルビア人の残虐行為を聞き、ユーゴスラビア紛争に関心を持った。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発すると、武器禁輸を解除してボスニアのイスラム教徒に武器を提供して訓練するとともに、NATOによる空爆で彼らを支援し、戦争犯罪を調査するという「リフト・アンド・ストライク(英語版)」政策を最初に主張したのがバイデンだった。しかしジョージ・H・W・ブッシュ政権もビル・クリントン政権もバルカン半島がもつれることを恐れ、この政策の実施には消極的だった。1993年4月にバイデンはセルビア共和国大統領スロボダン・ミロシェヴィッチと緊迫した3時間の会談を行い、ミロシェヴィッチに対して「私は貴方は戦争犯罪人だと思う。裁判にかけられるべきだ」と伝えている。1992年にはブッシュ政権に対してボスニア人への武器提供を迫る修正案を書き、1994年にはクリントン政権が好んだやや柔らかい表現に変更されるも、1年後にはボブ・ドールやジョー・リーバーマンが後援するより強力な案に署名した。バイデンは、1990年代半ばにバルカン半島への政策に影響を与えたことについて「公的人生のうち最も誇り高い瞬間だった」と述べている。 1997年には上院外交委員会の少数党筆頭委員に就任し、民主党が上院の多数派を占めた2001年から2003年と2007年から2009年の間には同委員会委員長となった。外交に関する彼のスタンスはリベラル国際主義(英語版)を基調とした。彼は共和党とも太いパイプがあり、時には民主党の方針にも反対した。 1999年3月のコソボ戦争中にはユーゴスラビア連邦共和国に対するNATOの空爆を支持した。バイデンは共和党のジョン・マケインと連携し、当時の大統領クリントンに対して地上部隊を含むすべての必要な戦力を使い、コソボのアルバニア人に対するユーゴスラビアの政策を阻止してミロシェヴィッチと対決することを求めた。 2001年9月の同時多発テロの後のアフガン作戦を支持した。2002年にバイデンは上院外交委員長として「サダム・フセインは国家安全保障に対する最大の脅威であり、その脅威を排除する以外に選択肢はない」と述べ、同年10月16日のイラクに対する軍事力行使承認決議案(英語版)に賛成した。この直後の2002年11月の中間選挙で民主党が少数党に転落したため、新しい連邦議会が招集された2003年1月3日付で外交委員長職を離れ、少数党筆頭委員に戻った。また、2004年11月の大統領選挙への出馬にも意欲を見せたが、最終的に断念した。 その後、2006年11月の中間選挙で民主党が多数党に返り咲いてからは、2007年1月4日より2度目の外交委員長職を務めている。また同時に、司法委員会に連なる犯罪および麻薬に関する小委員会の委員長を務めている。特に外交委員会では、同委員会のリーダーとして、また外交通として、積極的な発言を行った。また、上院本会議においても、行き詰まりを見せていたイラク政策に関連して、2007年9月26日に共和党の上院議員サム・ブラウンバックと共に、法的拘束力のない「イラク分割決議」を75対23で成立させた。 2008年時点では6回連続当選・在職36年目を誇る、押しも押されもせぬ上院民主党の重鎮となっている。ちなみに彼は、故郷デラウェア州の歴史上、最も長く在職した上院議員となっている。しかし、これほど多くの連続当選と長い在職期間を誇りながら、彼がデラウェア州の先任上院議員(アメリカでは Senior Senator と呼ばれている。各州2名の上院議員のうち、それまで連続して当選しており、より任期の長い議員が先任上院議員となる。)となったのは2000年のことであり、かなり遅いと言える。これは、バイデンの2年先輩にあたる共和党の上院議員ウィリアム・ヴィクター・ロス・ジュニア(William Victor Roth Jr.)が、1971年の初登院以来、2000年の選挙で民主党の州知事トーマス・リチャード・カーパー(Thomas Richard Carper)に敗れて引退するまで、約30年にわたって議席を維持した為である。
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