上時国家住宅(石川県輪島市町野町)
名称: | 上時国家住宅(石川県輪島市町野町) |
ふりがな: | かみときくにけじゅうたく |
名称(棟): | 主屋 |
名称(ふりがな): | おもや |
番号: | 2436 |
種別1: | 近世以前/民家 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 2003.12.25(平成15.12.25) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 石川県 |
都道府県: | 石川県輪島市町野町南時国13-4 |
所有者名: | |
指定基準: | (五)流派的又は地方的特色において顕著なもの |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行29.1m、梁間18.1m、一部二階、入母屋造、茅葺、四面庇付、 桟瓦葺、東面突出部 桁行10.2m、梁間10.3m、切妻造、桟瓦葺、 南面湯殿及び便所、西面門及び塀附属 |
時代区分: | 江戸末期 |
年代: | 天保2(1831) |
解説文: | 上時国家は,中世以来奥能登地方に強大な勢力を誇った旧家である。近世には奥能登にあった幕府領の大庄屋をつとめた。上時国家住宅は, 天保2年(1831)頃,現在地に屋敷を移し,主屋をはじめとする諸建物は安政4年(1857)頃までに完成したと考えられる。西面して建つ主屋は,桁行29.1mの大規模な建築で,入母屋造,茅葺の身舎の周囲に桟瓦葺の庇を廻らした形式である。主屋の北方には,土蔵造,平屋建の米蔵,北西には細長い2階建の納屋がある。 上時国家住宅は,奥能登における村落支配の拠点となった特権的な家の住居で,主屋は大型の民家が多い北陸地方にあっても最大級の規模を有している。 手の込んだ造りの室内の造作や座敷飾りとともに,土間廻りに豪壮な梁組をみせ,江戸末期の民家の一つの到達点を示す遺構として重要である。 |
上時国家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 01:48 UTC 版)

上時国家住宅(かみときくにけじゅうたく)は、石川県輪島市にある歴史的建造物の住宅。重要文化財に指定されている。本項では時国家のうち上時国家及び上時国氏庭園(国の名勝)についても述べる。
概要
時国家は元暦2年(1185年)に能登国に配流された平時忠を祖とする[1]。時忠は大谷(現・珠洲市)の山中に居を構えていたが、その五男の平時国が姓を「時国」と改めて平野部に居を移し、やがて時国村を興したという[1]。
ところが、天正9年(1581年)に能登国は加賀前田藩の藩領となり、一方で慶長11年(1606年)に時国村の一部が越中国を本拠とする土方領に替地となったため時国家は二重支配を受けることになった[1]。この二重支配を脱するため、寛永11年(1634年)に第11代当主藤左衛門時保が二家に分立することを決断した[1]。
時国家のうち土方領を本拠とした家は町野川上流に居を構えたことから「上時国家」と呼ばれた[1]。土方領はのちに幕府直轄地となり、上時国家は農業、塩業、回船業で栄えた[1]。
天保年間に居を移したのが「上時国家住宅」として残る建物で、2003年(平成15年)に重要文化財に指定された[1]。
民間の建物ながら公開されていたが、新型コロナウイルス禍などによる観光客の減少により維持管理費の捻出が難しくなり、上時国家住宅の公開は2023年(令和5年)9月で終了した(同じく重要文化財の時国家住宅もほぼ同じ理由で2020年11月に一般公開を休止した)[2]。
2024年(令和6年)1月1日に発生した能登半島地震で倒壊した[3]。同年4月の時点で、再建に必要な費用を上時国家当主は「5億円はかかるのではないか」とみており、文化財の復旧事業費は85%を国、残りを自治体と所有者が負担するきまりであるとはいえ、「とても負担できない」と全額公費での再建を望む意向を示していた[4]。その状態で、さらに令和6年9月能登半島豪雨で土砂が庭に流れ込んだために修理の必要な範囲が増え、当主は「元の姿に戻すことは諦めなければならないかもしれない」とも話している[5]。
建築
上時国家住宅は主屋が大型の民家が多い北陸地方でも最大級の規模とされる[6]。縁金折上格(ふちきんおりあげごう)天井などの内装、土間廻りの豪壮な梁組などの特徴をもち、重要文化財の指定では「江戸末期の民家の一つの到達点」と評価された[2][6]。
上時国氏庭園
上時国家住宅の西、南、東の三方向に面する庭園である[7]。2001年(平成13年)に国の名勝に指定された[7]。池の護岸や築山に豪快な石組みがあり、背後の山腹から書院前庭に至るまで苔と樹林に覆われている[7]。
脚注
- ^ a b c d e f g 小林 裕幸「重要文化財時国家住宅の修理を通して」『建築史学』第44巻、建築史学会、2005年、187-201頁。
- ^ a b “国重文「上時国家」公開終了 輪島・町野”. 北國新聞. (2023年11月24日). オリジナルの2023年11月23日時点におけるアーカイブ。 2023年11月24日閲覧。
- ^ “平家末裔の「上時国家」倒壊 輪島 茅葺き屋根が地面に 国重文”. 北國新聞. (2024年1月9日). オリジナルの2024年1月9日時点におけるアーカイブ。 2024年1月9日閲覧。
- ^ “輪島の国重文 「上時国家」復旧へ調査 時国さん 多額費用「公費補助を」”. 中日新聞. (2024年4月13日). オリジナルの2024年4月16日時点におけるアーカイブ。 2024年4月18日閲覧。
- ^ “ダブル被災の能登、文化財を守り続けてきた男性「億単位で個人で払える額では…」復旧費は個人負担”. 読売新聞. (2024年11月28日) 2024年11月29日閲覧。
- ^ a b “文化財の保護に関する行政評価・監視 結果報告書”. 総務省行政評価局. 2023年11月24日閲覧。
- ^ a b c “国の文化財の追加指定について”. 石川県教育委員会. 2023年11月24日閲覧。
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