三井十一家
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高利の死後、その遺産は嫡男高平以下子供たちの共有とされ、各家は1694年に、家政と家業の統括機関である「三井大元方」を設立すると共に、1722年(享保7年)に三井の家訓『宗竺遺書』(江戸時代。宗竺は高平の隠居名)がまとめられた際に6本家3連家制が定められ(のちに2連家が追加)、『三井家憲』(明治以降)の下に、同族の11家が一体となって三井家を盛りたてた。これがいわゆる「三井十一家」である。男系の子をもととする6家を本家、女系をもととする5家を連家と呼んだ。高利の子孫を「三井同苗」と呼び、大元方はその三井同苗と奉公人の重鎮の合議制で運営、資産を一括管理し散逸を防いだ。11家にはそれぞれの割合に応じてお金が配分されるが、各家の持ち分は全体を220分割した上、北家が62、伊皿子家が30、南家や小石川家などが22.5、女系の連家は一桁といった具合に分配された。 江戸時代の三井家は、当時居住していた地域の名前を頭につけて通称とするのが習わしであり、以下のように呼ばれた(11家とも明治以降は東京に転居)。 高利の男系子孫(本家)油小路北家(長男高平の子孫) - 略称・北家。惣領家。当主は代々三井八郎右衛門を名乗る。 伊皿子家(次男高富の子孫) - 当主に三井高生など。 新町家(三男高治の子孫) - 当主に三井高辰など。 室町家(四男高伴の子孫) - 当主に三井高保(三井高福五男)など。 油小路南家(六男高久の子孫) - 略称・南家。当主に5代三井高英など。 小石川家(九男高春の子孫)- 出水家とも。明治維新後、東京の小石川に住まいを移したことから小石川家と呼ばれるようになった。当主に6代三井高益、7代三井高喜、8代三井高景など。 女系子孫(連家)松坂家(長女みねとその夫孝賢の子孫) - 当主に7代三井高敏など。 永坂町家(五男安長の長女みちとその夫高古の子孫) - 大正時代に鳥居坂から永坂町に移転。鳥居坂の邸宅の一部は万平ホテルに移築され現存。当主に4代三井高蔭、5代三井高延(養子)、6代三井高潔(三井高福弟) 7代三井高泰(守之助、伊皿子家高生の子)、9代三井高篤など。 小野田家(高平の妻かねの実家) 以上の9家に、のち以下の2連家が追加された。 長井家(高利の四女かちの子孫)、 家原家(北家3代目高房の長女りくの子孫) 以上11家のうち北家・伊皿子家・新町家・室町家・南家・小石川家を「本家」、松坂家・永坂町家・小野田家・長井家・家原家を「連家」と呼び、本家の中でも北家を「惣領家」としていた。 明治に入り小野田家・長井家・家原家は途絶し、代わって、 五丁目家(北家8代目高福次男高尚の子孫)、 一本松町家(伊皿子家6代目高生次男高信の子孫) 本村町家(小石川家7代目高喜次男高明の子孫) が連家として興った。 代替わりするごとに十一の家同士の血縁が薄くなるのを防ぎ、家間の血縁関係を強固にするため、三井一族同士で結婚するケースも多かった。これは江戸時代からあったが三井の血統を重んじるため明治以降も三井一族同士による結婚は多い。
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三井十一家
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1691年(元禄4年)、高利は三井家の結束を図るため、長男・高平を総領家とする本家筋の直系男子と養子筋の連家を定めた。後に高平が制定した家憲「宗竺遺書」で、6本家(北・伊皿子・新町・室町・南・小石川)と3連家(松阪・永坂町・小野田)の9家を三井一族とした。家名はそれぞれの三井家が居住する町名にちなんで呼ばれた。連家は享保・元文期に2家(家原・長井)が加わり、6本家5連家の三井十一家体制とされた。江戸時代の「三井十一家」は次のようなものであった。 家 名家系注釈北家 高利の長男・高平の家系。惣領家。 当主は代々三井八郎右衛門を名乗る。高平は、二条油小路町に居宅を構える。後に南隣に兄弟の高久が居宅を構えたことから、油小路北家または北家と呼ばれるようになる。 伊皿子家 次男・高富の家系。 中立売家。 新町家 三男・高治の家系。 室町家 四男・高伴の家系。 竹屋町家。 南家 九男・高久の家系。 小石川家 十男・高春の家系。 松阪家 長女みねとその夫、孝賢の家系。 松坂南家・若松町家。 永坂町家 五男・安長の長女みちとその夫、高古の家系。 松坂北家・鳥居坂家。 小野田家 長男・高平の四女たみとその夫、孝俊の家系。 後に断絶 長井家 四女・かちの家系。 後に断絶 家原家 北家3代目高房の長女・りくの家系。 後に断絶 表中太字で背景色が着色されている家が三井6本家になる。なお、小野田・家原・長井の3家は幕末に断絶されたが、明治に入り、家格を継いだ新たな3家(五丁目・本村町・一本松町)として再興され、今日の三井11家・6本家5連家に続いている。 五丁目家(北家8代目高福次男三井高尚の子孫) 一本松町家(伊皿子家6代目高生次男三井高信の子孫) 本村町家(小石川家7代目高喜次男三井高明の子孫)
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