レジェンドたちの記憶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:32 UTC 版)
「バディ・ホリー」の記事における「レジェンドたちの記憶」の解説
1957年7月イギリスのスキッフル・バンド、クオリーメンはなけなしのカネをはたいて1枚の78回転SP盤を制作する。バンドのメンバーは記念すべき最初の録音を共通のアイドル、バディ・ホリーの「ザットル・ビー・ザ・デイ」をディスクの片面に刻んだ。1960年ザ・クリケッツにあやかりバンド名を「ザ・ビートルズ」に変更する。(詳細はザ・ビートルズ参照)「私はバディの歌い方、そして歌詞が好きです。彼はそれまでのミュージシャンと全く違っていました。今では当たり前のように思うかもしれませんが当時シンガーソングライターなどと言うものは一人もいませんでした。私とジョンは彼に触発されオリジナル曲を書き始めました。バディ・ホリーは素晴らしいミュージシャンです。」(ポール・マッカートニー) 1974年ロックンロール史家ジム・ドーソンはジョン・レノンと書簡を通じバディ・ホリーに関する一問一答を交わした。以下要約。 1 1958年クリケッツのイギリス・ツアーについて「ロンドンのパラディウムのステージを見た!ギターを弾きながら歌うバディは最高だったね!フェンダーギターを見たのはその時が最初さ。『ペギー・スー』のドラミングの秘密も分ったんだ。」 2 イギリスのミュージシャンに与えた影響は 「自分の事しか分らないな。だけど彼のレコードには皆影響を受けたんじゃないかな。どのグループもクリケッツを真似してたから。ビートルズの名前もクリケッツにインスパイアされたものだしね。作曲に関して僕とポールが一番影響を受けた。」 3 バディ・ホリーに対するあなた自身の気持ちは? 「革新的で偉大なミュージシャン。彼の影響はこれからも続くよ。存命なら何をしていたか、今でも思うんだ。彼が3コードでやった事を全てコピーした時、僕の中に作曲家としての萌芽があった。カポタストを使うのを見たのもバディが初めてだったしステージで眼鏡をかけるのもOKだ!僕はバディの相棒さ。」 回答末尾には「Love. John Lennon」の署名と共に眼鏡をかけた自身のイラストが添えられている。 1964年ザ・ローリング・ストーンズはシングル盤「ノット・フェイド・アウェイ」で米国デビュー。オリジナルは1957年バディ・ホリーがボ・ディドリー・ビートを下敷きにし作曲したもの。全米48位、英国3位を記録。「レコードのジャケットを見るまでバディ・ホリーは黒人だと思ってた。」「バディから曲の書き方とそれをまとめる方法を学んだ。彼は美しい作家さ」(ミック・ジャガー)「1958年頃(イギリスでは)エルヴィスかバディ・ホリーの二派に分かれてたよな。見りゃすぐに分ったもんさ。エルヴィスファンは黒の革ジャン、バディのファンは何となくバディっぽい恰好してたもんだ。」(キース・リチャーズ ) 「バディ・ホリーは当時の音楽ヒーローの中でも一番親しみやすい存在だったね。そして唯一無二の本物だ。」(エリック・クラプトン、ロックギタリスト) 1959年1月31日ミネソタ州ダルース、事故3日前のバディー・ホリーのステージ。客席最前列に17歳の少年ボビー・ジマーマンがいた。「彼(バディ)とは3フィートしか離れていなかった。・・・そして彼は私を見た。」(ボブ・ディラン 1998年グラミー賞でのスピーチ) ホリーズのグループ名はバディー・ホリーにちなんで命名された。ロリー・ギャラガーはバディに憧れストラトキャスターをメインギターにした。エルヴィス・コステロはデビュー時バディを模した黒メガネをトレードマークにした。
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