レオ11世 (ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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レオ11世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 05:28 UTC 版)

レオ11世
第232代 ローマ教皇
教皇就任 1605年4月1日
教皇離任 1605年4月27日
先代 クレメンス8世
次代 パウルス5世
個人情報
出生 1535年6月2日
フィレンツェ公国フィレンツェ
死去 (1605-04-27) 1605年4月27日(69歳没)
教皇領ローマ
その他のレオ
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レオ11世(Leo XI, 1535年6月2日 - 1605年4月27日[1])は、17世紀初めのローマ教皇(在位:1605年)。本名はアレッサンドロ・オッタヴィアーノ・デ・メディチAlessandro Ottaviano de' Medici)。

トスカーナ大公国メディチ家とは遠縁に当たり、マリア・デ・メディチを妻としていたフランスアンリ4世の後援を受けて1605年4月1日に教皇位についたが、選出のわずか26日後に世を去った。

彼が教皇の座に就けたのは、トスカーナ大公フェルディナンド・デ・メディチの影響力が大きい。この元枢機卿はレオ11世の死後も力を遺憾なく発揮し、次の教皇にはパウルス5世スペイン派)を選出させている。

脚注




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