著名なメディチ家の人物
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ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(Giovanni di Bicci de' Medici、1360年 - 1429年)、メディチ銀行総裁、政治家。メディチ家における政治家一家の祖。 コジモ・デ・メディチ(イル・ヴェッキオ)(Cosimo de' Medici detto il Vecchio、1389年 - 1464年)、フィレンツェにおけるメディチ支配を確立した(1434年 - 1464年)。 ロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニフィコ)(Lorenzo de' Medici detto il Magnifico、1449年 - 1492年)、フィレンツェ・ルネサンスの黄金時代を築いた(1469年 - 1492年)。 ローマ教皇レオ10世、ジョヴァンニ・デ・メディチ(Giovanni de' Medici、1475年 - 1521年、在位:1513年 - 1521年)。教皇庁で多大な浪費を行い、宗教改革の原因ともなった。 ローマ教皇クレメンス7世、ジュリオ・デ・メディチ(Giulio de' Medici、1478年 - 1534年、在位:1523年 - 1534年)。ローマ略奪を招き、ハプスブルク家に屈服するも、フィレンツェ公国を建国する(1532年、後のトスカーナ大公国)。 黒隊長ジョヴァンニ(Giovanni delle Bande Nere、1498年 - 1526年)。庶流の出であったが、傭兵軍団を率いて「黒隊長」として恐れられる。28歳で戦死。コジモ1世の父。 コジモ1世(Cosimo I de' Medici、1519年 - 1574年)、1537年、第2代フィレンツェ公、1569年、初代トスカーナ大公になる。ジョルジョ・ヴァザーリ、ブロンズィーノらを宮廷画家として迎える。また、ミケランジェロの葬儀(1564年)を行った。 カテリーナ・デ・メディチ(Caterina de' Medici、1519年 - 1589年)、母はフランス人。フランス・ヴァロワ朝の王アンリ2世妃。3人の子(フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世)を次々と王とし、摂政、母后として30年にわたりフランスを影から操った。 マリア・デ・メディチ(Maria de' Medici、1575年 - 1642年)、ブルボン朝の王アンリ4世妃。ルイ13世の母。 フェルディナンド1世(Ferdinando I de' Medici、1549年 - 1609年)、第3代トスカーナ大公(1588年 - 1609年)。積極的なパトロネージを展開し、自らを含めた3つの結婚祝典を通して、トスカーナ大公国の最後の絶頂期を演出した。 ローマ教皇レオ11世、アレッサンドロ・オッタヴィアーノ・デ・メディチ(Alessandro Ottaviano de' Medici、1535年 - 1605年、在位:1605年)。フェルディナンド1世の助力で教皇に選出されるも急死。メディチ家最後の教皇となった。 フェルディナンド・デ・メディチ(Ferdinando de Medici、1663年 - 1713年)、第6代トスカーナ大公コジモ3世の長男、大公子。積極的なパトロネージを展開し、「トスカーナの偉大なる光明(グラン・ルーメ)」としてイタリア中に名声を広めた。しかし晩年は梅毒にかかり、父に先立って死去し、大公位を継承することができなかった。
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