ヨード製造とは? わかりやすく解説

ヨード製造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 18:29 UTC 版)

森矗昶」の記事における「ヨード製造」の解説

明治31年1898年)に高等小学校卒業すると、矗昶は為吉新たに始めたかじめ焼き事業手伝うことになる。これは海岸でとれる海藻カジメ焼いてそこからヨード製造するのである。矗昶は中学への進学志していたが、明治33年1900年)に満都産褥で逝ったために断念する翌年勝浦池平粗製沃度工場見習いとなって技術習得し、同じ年に稼働はじめた為吉粗製沃度工場任された。昼間カジメ買い付け、夜はかじめ焼きと、寝る間もないほど働き詰めた。明治37年1904年日露戦争が始まるとヨード需要高まり一方で矗昶は徴兵検査乙種合格であったため出征免れ、ヨード製造事業順調に進展した明治38年1905年3月13日に、総野村(現在は勝浦市杉戸豪農山口家から長女いぬを妻に迎える。このときの仲人隣家安西直一(後に千葉県会議長)だった。いぬは、矗昶の妹いうが千葉高女に通っていたときの友人であったが、いぬはそのこと知らされずに婚礼臨んでいた。明治40年1907年)に生まれた長男の曉をはじめとして、満江、實(夭逝)、茂(戦死)、清、睦子、美秀、禄郎、三恵子の6男3女をもうけた明治41年1908年12月、総房水株式会社資本金5万円)を設立し営業部長となる。日露戦争戦費調達のためヨード副産物食塩専売制になったうえ、日露戦争による需要おさまったことで、政府ヨード業者統制目的合併推奨してきた。そこで矗昶と安西直一は、この機に乗じて千葉県内のヨード業者半ば強引に大同団結させたのである社長に為吉専務安西直一就いたが、実務は矗昶が取り仕切り後に常務となった経営は順調で、第一次世界大戦による好況をうけて大正6年1917年)には資本金150万円海外製品輸出するまでに成長したが、翌年大戦終結する反動不況一転経営危機に陥り、翌年東信電気株式会社吸収合併される。

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ヨード製造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:30 UTC 版)

鈴木三郎助」の記事における「ヨード製造」の解説

その頃ちょうど海水浴流行しはじめ、葉山一帯静養地として人気集めるようになる。そこで母なかと妻テルは、蛎殻町米相場中心地)へ入り浸り三郎助に代わって部屋貸しを営むことになった。たまたま大日本製薬技師村田春齢という人が家族連れ逗留し、なかの相談に応じてかじめ焼き勧めた早速なかはかじめを焼いて沃度灰を作り始める。明治23年1890年)には、三郎助は家財のほとんどを米相場につぎ込んだ挙げ句ほとんど無一文となって葉山戻り、母と妻が始めた沃度事業手伝うこととなる。 沃度事業順調に進展し三郎助は三重から房総に至るまでカジメ買い付けて廻り、戻るとかじめ焼きこなした。弟の忠治明治27年1894年)に一旦貿易会社就職するも、辞めて技師として管理研究あたったこの頃になると日本中でかじめ焼きが行われ、生産過剰となったヨード製品輸出されるうになる明治29年1896年諸外国シンジケートによりダンピング攻勢仕掛けられるが、数年をかけてこれを退けることに成功する明治37年1904年)には日露戦争に伴う需要増により莫大な利益上げたその後間もなくして、母なかは明治38年1905年10月14日没する日本ヨード業界房総加瀬忠次郎始まりくわえて棚橋寅五郎鈴木三郎助とで三分していたが、この頃には鈴木が最も勢力伸ばしていた。明治39年1906年)に関東沃度同業組合組織して理事長就任し、翌明治40年1907年)には加瀬棚橋鈴木大同団結し日本化学工業創立した日本化学工業は、大倉喜八郎社長に頂き鈴木専務加瀬常務棚橋技師となった鈴木マッチ原料となる塩素酸カリウム製造などへの事業拡大提唱するが、大倉始め他の経営陣とは意見が合わなかったため明治43年専務辞して売り、その巨利元手に再び独立事業営み始める。

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