マリ北部の回復
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「マリ北部紛争 (2012年)」の記事における「マリ北部の回復」の解説
詳細は「セルヴァル作戦」を参照 詳細は「アフリカ主導マリ国際支援ミッション」を参照 2013年1月10日、軍事情勢はマリ軍にとって急速に悪化しつつあった。反政府勢力は中部の要衝コンナ(fr:Konna)に到達し、そのまま南部のモプティに向かう。首都バマコは脅威に晒されマリ暫定大統領ディオンクンダ・トラオレはフランソワ・オランド仏大統領に直接支援を要請する。オランド大統領はその日の午後に軍の投入を決定、翌1月11日にセルヴァル作戦が発動する。また、これと並行してアフリカ主導マリ国際支援ミッションも前倒しで実施されることになる。 1月11日夜から12日未明にかけて、フランス軍のミラージュ2000戦闘機やガゼル戦闘ヘリコプターはモプティに向けて進撃していたイスラム武装勢力の車列に対し空爆を実施し、指揮所や6台程度の車両を破壊する。ガゼルヘリコプターのパイロット1名も戦死している。また、この攻撃でマリの民間人12人が死亡したとみられる。1月12日、マリ軍はイスラム過激派約100人の死亡を発報し、コンナの争奪戦が続いていることを伝える。マリ軍の損害は情報源により異なるも、およそ11人から36人の間で死者が出たとみられる。また、アンサール・アッ=ディーンの指導者の一人アブデル・クリム(Abdel Krim)が戦闘で死亡している。1月13日、フランス軍機はレレーとドゥエンツァ周辺を空爆する。また、フランス軍のミラージュ戦闘機がガオを空爆してMUJAO部隊に対し市内からの退避を発生させる。住民は両勢力によるものの合計で60人が死亡したとみられる。1月14日、首都バマコから約400kmの地点にあるディアバリーを奪取していたイスラム過激派はフランス軍の攻撃を避けるためモーリタニアに退避するようAQIM司令官アブー・ザイドは指示する。 1月16日、コンナの状況は混乱しておりフランス軍特殊部隊は依然として町を奪取しておらず、依然としてイスラム勢力が残っていた。同時期、マリ=フランス連合軍はディアバリー奪還のため協同で地上戦に突入する。 1月17日夕方、マリ軍はコンナ市内の奪還に成功したと伝え、イスラム戦闘員6人を殺害し、車両8台を捕獲、他に台数不明ながら車両を破壊している。 1月21日、ジャン=イヴ・ル・ドリアン仏国防大臣はマリ=フランス連合軍がディアバリーとドゥエンツァの奪還を発表する。1月25日、イスラム武装勢力の兵站拠点となっていたガオ市攻略の前にフランス軍機による空爆が実施され、空港を奪取する。 1月27日、フランス空軍はマリ北東部のキダル州内とアンサール・アッ=ディーンの指導者の家御破壊を目的とした空爆を実施し、アメリカ合衆国はフランス軍機に対する空中給油に合意する。フランス国防省はマリ国内、ガオとトンブクトゥ地域でイスラム指導者宅を狙った空爆は「二十回」の出撃を数えていると伝える。 1月28日、マリ=フランス連合軍はトンブクトゥへ至る各種アクセスを統制するため夜間に空地一体運用で市街地奪還作戦を実施、「敵は脱出した」とフランス軍参謀は伝える。 1月28日、チャド=ニジェール連合軍はメナカとオンドラムブーカーヌ(fr:Andéramboukane)を統制下におく。1月29日、マリ軍はニジェール軍の支援を受けてアンソンゴを奪還する。ある住民は、1月27日にアンソンゴから車に乗って撤退したイスラム過激派は35km離れたタンハマ(fr:Tin-Hama)とタンゲールゲール(Tinguerguerre)に所在しているだろうと述べる。 1月29日夜から30日未明にかけて、航空作戦中にフランス軍は市南東に位置するキダル空港を制圧する。最後の数日間でフランス軍機はキダルから撤退したイスラム戦闘員を追撃すべく周辺に空爆を実施する。 1月30日、フランスは北部マリの人々との対話を求める。同日、ゴシ(Gossi)とオンボリ(Hombori)間を移動中であったマリ軍が地雷に触雷し兵士4人が戦死し、5人が負傷する。2月6日、マリ軍車両が地雷に触雷し兵士4人が戦死、MUJAOは北部マリにおける地雷埋設を主張する。2月8日、ガオ市内にてトゥアレグ人自爆テロ犯による攻撃でマリ兵1人が軽傷を負う。2月19日、北部地域にてイスラム武装勢力との激戦でフランス軍兵士1人が戦死する。 チャドの新聞「マタン(Matin)」紙によると、2月5日にキダル北方を巡察中にイスラム戦闘員の待ち伏せによってチャド兵24人が戦死し、他に11人が負傷する。情報はマリやチャド当局によって確認されていない。だがチャド政府は交通事故で11人が負傷したことには言及している。メナカに駐留していたニジェール軍がガオへ向けて出発した翌日、メナカではMNLA戦闘員40人によって町の支配権が握られる。
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