ボームの人生
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この作品の登場人物、ディテール、アイデアの多くはボームの経験に基づいている。子供の頃ボームはしばしば農場でカカシに追い回される悪夢を見ていた。「ボロボロの干し草でできた指」が彼の首を掴もうとしたその瞬間に崩れていった。数十年後、大人になったボームは彼の苦悩を登場人物のカカシとして物語に入れ込んだ。息子のハリーによると、ブリキの木こりは窓の飾りから生まれた。彼は窓に何か魅力的なものを飾りたく、スクラップから電子部品を組み合わせて風変わりな形を作った。湯沸かし器で体を、排気管で腕や足を、フライパンで顔を作った。ボームはその後煙突の上部につけるファンネル・ハットを上部にかぶせると最終的にブリキの木こりの形になった。石油王だったジョン・ロックフェラーは自身の製油所の石油を売るためスタンダード・オイルの自身の持ち株を減らし、同じ石油業界にいたボームの父のある意味「敵」だった。ボーム研究者のエヴァン・I・シュワルツは、ロックフェラーが魔法使いの一面として描かれていると語った。物語の1シーンで魔法使いが「横暴なハゲ」であるという記述がある。ロックフェラーが54歳の頃、脱毛症にかかり頭の毛が全てなくなり、人々は彼に話しかけるのを怖がっていた。 1880年代初頭、ボームが所有していたオペラ・ハウスが「オイル・ランプが垂木に引火して炎がゆらめき」火事で焼失したことから劇作品『Matches 』が執筆された。研究者のエヴァン・I・シュワルツはカカシの深刻な恐怖を表現する「世界で一番恐ろしいものは火のついたマッチ」という台詞に表れていると語った。 1890年、ボームはダコタ準州(現サウスダコタ州)のアバディーンに住んで干ばつを経験し、アバディーンの『サタデー・パイオニア』に、馬が食べている木片が芝生でできていると信じている農民が馬に緑のゴーグルをかけさせていることに関する機知にとんだコラム『Our Landlady 』を執筆した。これと同様に魔法使いはエメラルドの都の住民たちに緑のゴーグルをかけさせ街がエメラルドでできていると信じさせている。 陶器のセールスマンでもあったボームは第20章に陶器について記載している。 アバディーンでの短期滞在の間、多くのアメリカ合衆国西部についての噂の広がりが続いた。しかし西部は魔法の国となる代わりに干ばつと不況で荒地となった。1891年、ボーム一家はサウスダコタからシカゴに転居した。当時シカゴは1893年に開催される万国博覧会に向けて準備中だった。研究者のローラ・バレットはシカゴはカンザスよりもオズに似ていると語った。西部の莫大な金脈についての噂が事実無根だと判明した後、ボームはオズの中にアメリカのフロンティアを作り出した。多くの敬意を表して執筆されたボームの創作は、西部が当時まだ未開拓だったことも含めて実際のフロンティアに似ていた。農民のマンチキンとドロシーは物語の始めの方で出会い、ウィンキーとは後半で出会う。 ボームの妻モードは姉ヘレンの娘である姪のドロシー・ルイズ・ゲイジにしばしば会いに行っていた。この幼子は難病を患い、1898年11月11日、月齢5ヶ月で脳充血により亡くなった。ボームとモードには娘がおらず、モードはドロシーを娘のように可愛がっていたためドロシーが亡くなるとモードは、薬を必要とするほど酷く落胆した。妻の悲嘆を和らげるため、ボームは『オズの魔法使い』主人公の少女にドロシーと名付けた。ヘンリー叔父はモードの父であるヘンリー・ゲージをモデルにした。花屋を操業していたヘンリーは、モードの母でヘンリーにとっての恐妻マチルダ・ジョスリン・ゲージに頭が上がらなかったが、近所の住民たちからは尊敬されていた。父ヘンリーと同様にヘンリー叔父は「厳格で真面目で無口」であり「従順でよく働く男」として描かれている。物語中の魔女たちはマチルダが行っていた魔女狩り研究の影響を受けている。魔女を追い込む残酷な仕打ちはボームを恐怖に陥れた。東西の魔女2人の死はこれを隠喩している。 ボームは転職、転居を繰り返したため多くの人々と出会い、彼の人生で経験した多くの出来事から物語の着想を得た。物語の導入部でボームは「ハラハラ、ドキドキの物語で、胸の痛みや悪夢は消え去り、現代のおとぎ話となることを望む」と記されている。これらはボームが『オズの魔法使い』の着想を得たもののほんの一部である。
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