ホタルエビの発見と天然記念物の指定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 01:24 UTC 版)
「十六島ホタルエビ発生地」の記事における「ホタルエビの発見と天然記念物の指定」の解説
十六島ホタルエビ発生地(跡地) 千葉市 十六島ホタルエビ発生地(跡地)の位置 発光のしくみや、生態などについては 「ホタルエビ」も参照 国の天然記念物に指定されていた十六島ホタルエビ発生地周辺のホタルエビは、1921年(大正10年)の夏、佐原在住の小学生だった栗林甲子男・金子靖の2名が、付近の小川で光るエビを発見したことによって人々に知られるようになり、真夏の蒸し暑い夜になると小さな川に数百匹もの青白く光るエビが毎年のように現れた。数百匹にも及ぶエビが美しい光を一斉に放つ現象は世界中のどこからも報告例のない貴重なものであった。 淡水域で発光するホタルエビが最初に確認されたのは佐原周辺の利根川流域ではなく、1914年(大正3年)に長野県諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)教諭の牛山傳造が、夜間に諏訪湖でプランクトンの採集中に、湖中に光るエビを発見したのが最初であったが、牛山は佐原でホタルエビが発見された後の1925年(大正14年)に、諏訪湖でのホタルエビについて東京高師博物雑誌に発表しており、当時、淡水域でホタル以外に発光生物が存在したことは驚きをもって迎えられた。 この発光の原因を最初に調査したのは東京慈恵会医科大学の矢崎芳夫である。矢崎は長野県諏訪郡永明村(現茅野市)出身で、出身地に近い諏訪湖の発光エビと、佐原の発光エビについて詳細な調査・研究を行い、何らかの発光細菌(発光バクテリア)の感染によるものであることを突き止めた。この細菌を詳しく調べると、コレラ菌に非常によく似たバナナ状の形態をしており、大きさは1.5マイクロメートルで、次々と健康な淡水エビに感染して発光現象を起こすことが分かった。コレラ菌に似ているがヒトを含む人畜には全くの無害であり、甲殻類の特にヌカエビに対する病原性があることが分かった。1926年(大正15年)、矢崎はこの細菌に、Microspira phosphoreum (ミクロスピーラ・フォスフォレウム)和名「蝦発光菌」と命名し、その後の1931年(昭和6年)に高遠藩藩医の流れをくむ医師、馬島律司によりVibrio Yasakii (ビブリオ ヤサキイ)と改名されたが、この菌名はその後廃棄されており、1995年(平成7年)の国立感染症研究所による病原微生物検出情報によれば、矢崎の論文内容から諏訪湖や佐原で確認されたホタルエビの原因となった細菌(発光バクテリア)は、今日で言うビブリオ属菌のひとつNAGビブリオ(Cholera non-O1)であったとことに疑いの余地は無い、としている。 もっとも、諏訪湖のホタルエビは、佐原周辺のホタルエビの発光細菌(バクテリア)と全く同一のものであることが検証により判明しており、佐原周辺の利根川水系よりワカサギが諏訪湖へ移植された際に、ホタルエビやその発光細菌が混入されていたと推測されている。 もともとこれらのエビは「ちょうちんえび」と呼ばれていたが、1932年(昭和7年)、佐原で調査を担当した矢崎と、東京大学の鏑木外岐雄によって「ホタルエビ」と命名された。そして史蹟名勝天然紀念物保存法を所掌していた当時の文部省によって、1934年(昭和9年)5月1日、発光するエビが出現する十六島地区南西部に位置する、佐原町大字佐原ニの、字荒川・砂場(すなっぱ)・向津地区の水路敷が国の天然記念物に指定された。ホタルエビが発光する様子は「水郷の豆電灯」「水郷の豆電球」と称された。 なお、佐原のホタルエビはヌカエビに発光バクテリアが感染したものとされているが分類の混乱もあり、今日ではヌマエビであった可能性も指摘されている。
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