プロ入り前・現役時代とは? わかりやすく解説

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プロ入り前・現役時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:16 UTC 版)

上田利治」の記事における「プロ入り前・現役時代」の解説

実家魚屋。5人兄弟長男で、叔父徳島県弁護士会副会長であった上田徳島実家のすぐ近くには、高校後輩となる元西鉄選手プロゴルファー尾崎将司その実弟でゴルファーの健夫・直道実家があった。海南高校時代から捕手で、3年次1954年には夏の甲子園県予選準々決勝進出するが、撫養高に惜敗学業成績も優秀で高校時代野球練習生徒会活動同時に行いつつ、毎朝しっかりと勉強していたため、睡眠時間4時程度であったという。担任からは「野球なんかやらずに、東大行って弁護士になれ」と勧められ上田高校卒業後の1955年弁護士になるつもりで関西大学二部法学部進学関西大に学校推薦無試験進学するよう薦められたが、上田はそれを断り筆記試験臨んだところ、400満点入試実力合格十分な298点を取ったところに野球推薦での+100点ボーナス加えた結果398点となり、受験生全体ダントツ成績になってしまったという。野球部では村山実バッテリー組んで活躍し関西六大学野球リーグでは4度優勝経験2年次1956年には全日本大学野球選手権大会出場1年上の三塁手難波昭二郎ら強力打線活躍もあり、決勝島津四郎人見武雄らのいた日大降し西日本大学としては初の優勝を飾る3年次1957年4年次1958年同大会では、全盛期立大いずれも準決勝敗退リーグ通算68試合出場し258打数66安打打率.256、1本塁打記録残した学生時代から大変な勉強家で、読書量も豊富で学生時代にはナポレオン・ボナパルト著作全て読破していた。 プロ入りには消極であったが、「東洋工業からの出向社員として3、4プレーしその後東洋工業で」との条件出して熱心に口説いた広島カープ誘い応じ大学卒業後の1959年入団プロ入りしたもの弁護士の夢も捨ててはおらず1年目同年日南キャンプ六法全書持ち込んで野球練習合間法律勉強もした。開幕後田中尊川原政数併用され53試合捕手として先発出場。正捕手田中を脅かす存在となり、長谷川良平など主力投手評価高かったが、右肩を壊す。2年目1960年には川原新人西山弘二などの捕手台頭して出場機会減少し3年目1961年限り現役引退

※この「プロ入り前・現役時代」の解説は、「上田利治」の解説の一部です。
「プロ入り前・現役時代」を含む「上田利治」の記事については、「上田利治」の概要を参照ください。

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