プロ入り後 - 最初の現役引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 23:26 UTC 版)
「オジー・カンセコ」の記事における「プロ入り後 - 最初の現役引退」の解説
1982年のMLBドラフト2巡目でニューヨーク・ヤンキースから指名を受けて契約。 当初は投手として登録されていたが、マイナーリーグで1984年には外野手としても出場し、しばらく二足のわらじを履く事になる。 1986年にオークランド・アスレチックスへトレードされると完全に外野手に転向したが、それでもマイナーで稀に投手として登場する事があった。 双子の弟のホセ・カンセコは早々とMLBで華々しい活躍を見せたがオジーはなかなか芽が出ず、MLB初出場はプロ入り8年目、1990年7月18日の対クリーブランド・インディアンス戦だった(同年は9試合に出場)。 1991年に日本プロ野球の近鉄バファローズに入団した。あのホセ・カンセコの実兄という事で話題になり、ファンも大いに期待した。しかし同年の近鉄にはラルフ・ブライアント、ジム・トレーバーという実績のある大物助っ人外国人が名を連ねており、球団としては第3の外国人という扱いに過ぎなかった。シーズン中にブライアントが故障し、カンセコにチャンスが訪れたかと思われたが、二軍で中途半端な成績しか挙げていなかったため、近鉄は新外国人ジェシー・リードを獲得し、彼をブライアントの代わりに抜擢した。当時、外国人枠の一軍枠は1チーム2人までで支配下登録は3人までという規定があったため、リード獲得のために任意引退公示がされた。球団としては翌年も契約する意志があったため、自由契約ではなく任意引退という処置を取ったのだが、これでは二軍の試合に出場する事もできないため、納得する事ができなかったカンセコはシーズンの途中で退団し、帰国した。 その後は1992年1月15日にセントルイス・カージナルスと契約を結んだものの、MLBでは2年間で15試合出場のみに終わった。 1993年12月14日に移籍したミルウォーキー・ブルワーズではMLBで出場する事はなく、1994年限りで現役引退を表明。
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