プロ入りとプレデターズ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 17:29 UTC 版)
「シェイ・ウェバー」の記事における「プロ入りとプレデターズ時代」の解説
2004年9月10日、3年間142万5千ドルの契約でナッシュビル・プレデターズに入団した。 2006年1月6日のデトロイト・レッドウィングス戦でNHLデビューし、11分8秒で3回シュートという記録を残した。4月6日のセントルイス・ブルース戦で初ゴールし、3対0でプレデターズが勝利した。初年度28試合に出場し、2ゴール、10アシストを記録した。またプレイオフ1回戦でサンノゼ・シャークスと対戦し、で4試合中2回ゴールした。傘下のアメリカン・ホッケー・リーグ(AHL)のミルウォーキー・アドミナルズに配属され、AHLのプレイオフにも出場した。14試合に出場し、6回ゴール、5回アシストし、アドミナルズはコルダー杯においてハーシー・ベアーズ(英語版)と6試合対戦し、敗退したため2位となった。 2006-2007年シーズンはプレデターズにとって重要な選手の1人となった。シーズン半ば、ウェバーはすでに26ポイント得点し、2007年1月14日にテキサス州ダラスで行われたNHLヤングスター・ゲームでウェスタン・カンファレンスとして出場した。このシーズンでウェバーはプレデターズ8位の40得点した。2シーズン続けてプレイオフでサンノゼ・シャークスと5試合対戦し、3回アシストしたが敗退した。 2007-2008年シーズンは怪我で迎えた。コロラド・アバランチと対戦した開幕戦で第1ピリオドのたった2分19秒で激しく転倒し、膝蓋骨を脱臼した。そのため2007年11月17日のセントルイス・ブルース戦まで6週間欠場した。その直後、足の怪我で2008年1月15日のカルガリー・フレームス戦まで11試合欠場した。このシーズンは54試合出場し20得点した。NHLの最も優秀なディフェンスに送られるジェームス・ノリス記念賞の投票で他の7名とタイの5位となった。 2008-2009年シーズンはシーズン開幕前の2008年6月23日にプレデターズと3年間1,350万ドルの契約を結び、FAを回避した。更新1年目、NHLでトップのディフェンスの1人となった。シーズン半ば、ディフェンスの選手の中でも統計的に抜きん出て、ノリス記念賞候補とされ、ケベック州モントリオールで行われた第57回NHLオールスターゲームのウエスタン・カンファレンスに出場した。このシーズンでウェバーはプレイ80、ゴール23、アシスト30、ポイント53、反則時間80分と全ての統計で高かった。プレデターズで1シーズンでのディフェンスによるゴール記録を抜いた。ノリス記念賞において、1位にはならなかったが投票で186点で第4位となった。NHLセカンド・オールスター・チームは辛くも選考から漏れた。 2009年-2010年シーズンは2010年2月のバンクーバーオリンピックまで、プレデターズの59試合で35得点した。またリーダーシップを発揮し、2010年3月には3試合連続でチームメイトの代わりに相手チームの選手と戦った。オリンピック後は攻撃性はやや鳴りを潜め、同シーズンは78試合で43得点した。前年より攻撃性は下がったが、ウェバーは3年連続ノリス記念賞の候補となり、96ポイントで第6位となった。またハート記念賞の投票では83ポイントで23位となり、NHLオールスター・チームのディフェンスでは7位となった。 2010年-2011年シーズンは2010年7月8日にプレデターズの第4代キャプテンのジェイソン・アーノットがニュージャージー・デビルスにトレードされたため、第5代キャプテンに任命された。チーム史上最も若いキャプテンで、唯一ドラフトで入団したキャプテンとなった。2011年1月11日にノースカロライナ州ローリーで行われた第58回NHLオールスターゲームに選出された。このオールスター・ゲームではNHL史上初めてファンタジー・スポーツを基にしたドラフト方法を採用し、ウェバーは全体8位でニクラス・リドストロム率いるチーム・リドストロムに指名された。この試合では4回アシストしてプラス6となり、チームメイトのLoui Erikssonとポイントでほぼタイでニクラス・リドストロムに次ぐ成績であった。オールスター・ゲームの直後の2011年2月9日のデトロイト・レッドウィングス戦にてNHLでの通算200ポイント(アシスト)を記録した。 平均氷上時間が25分19秒となり、82試合出場、32アシスト、25ゴールで自身の記録を更新した。また2011年スタンレー・カップ・プレイオフのウエスタン・カンファレンス準々決勝の対アナハイム・ダックス戦、準決勝の対バンクーバー・カナックスと対戦を合わせて12試合において、3ゴール、5ポイントを獲得した。なおこのプレイオフでチーム史上初めて準決勝に進出した。レギュラー・シーズンの結果、ノリス記念賞において初めて最終候補3名に残った。受賞したリドストロムの736ポイントに次ぐ727ポイントで惜しくも受賞を逃した。またハート記念賞では5位票2つ獲得し、最終的に25位であった。リドストロムの464票に次ぐ445票で、彼にとって初めてNHLファースト・オールスター・チームに選ばれた 。2011年7月1日、制限付きFAとなったが、プレデターズへの残留を希望していた。オファー・シートによる他のチームとの契約を阻むため、プレデターズは契約更新まで交渉して年俸調停を行なった。交渉が決裂し、8月2日に調停に入り、チームが起こした調停でNHL史上初めて聴聞会に達した。翌日彼は1年間750万ドルの契約を行なった。 2011年-2012年シーズンの2011年10月20日のカナックス戦でフォワードのジャニック・ハンセンに後ろから当たった。ハンセンに怪我はなかったが、翌日NHLより罰金として最高額の2,500ドルを課せられた。 2012年のスタンレー・カップ準々決勝のデトロイト戦において、試合終了直前にセンターのヘンリック・ゼターバーグはウェバーに当たったため、ウェバーはゼターバーグの頭を殴りグラス・ボードにぶつかった。ゼターバーグのヘルモットが欠けたが怪我はなく、次の試合にも支障がなかった。労働協約により報復行為への罰金としてNHLは最高額の2,500ドルを課した。NHL理事ゲイリー・ベットマンがこの試合を観戦していた。レギュラー・シーズンにおいて、全てのディフェンスで他の2人と共に、人数が少ない試合での得点数でトップであった。 選手はチーム主催の調停には1度しか受けられず、2012年のオフシーズンでプレデターズとウェバーとの交渉が難航していた。7月19日にフィラデルフィア・フライヤーズとオファー・シートによる14年1億1千万ドル、および6,800万ドルの報奨金で交渉していた。このオファー・シートは総額、シーズンごとの金額、契約期間において、これまでのトーマス・ヴ ェネクの記録を抜いてNHL史上最高となった。 プレデターズはディフェンス・パートナーであったライアン・サターをFAによるオファー・シートの5日後に放出していた。 2013年-2014年シーズンは23ゴールでNHLのディフェンスのトップとなり、彼のキャリアにおいても最高となった。キモ・ティモネンが保持していたディフェンスとしての1シーズンのポイントのプレデターズの記録も更新した。4月28日、ウェバーは3度目のノリス記念賞最終候補となったが投票により第3位となり受賞には至らなかった。 2014年-2015年シーズンでNHLセカンド・オールスター・チームに投票され、ポスト・シーズンのオールスター・チームに選ばれたのはこれで4回目となった。
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プロ入りとプレデターズ時代
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「マイク・フィッシャー (アイスホッケー)」の記事における「プロ入りとプレデターズ時代」の解説
2011年2月10日にナッシュビル・プレデターズが同年のNHLドラフト(英語版)1巡目指名権と2012年のNHLドラフト(英語版)条件付き指名権を放棄する代わりに、セネターズからフィッシャーを獲得した。2012年の条件付き指名権はプレデターズがプレイオフで1回戦で勝った場合3巡目指名を、2回戦以上で勝った場合2巡目指名をすることができる権利であった。プレデターズはプレイオフで1回戦で勝ったが、2回戦で負けたためセネターズは3巡目指名権を獲得した。 2011年2月12日、プレデターズでの初試合に出場し、コロラド・アバランチとの試合で5対3で勝利した。5日後の2月17日、対バンクーバー・カナックス戦で初ゴールを決めた。 2012年、所属チームの地域への献身、貢献、協力などを認められた選手に贈られるNHLファンデーション選手賞を受賞した。 2015年6月26日、7月1日のFA解禁直前にプレデターズと2015年度480万ドル、2016年度400万ドルの計880万ドルの2年契約を結んだ。 2018年に引退した。
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