プロ入りとペンギンズ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 10:06 UTC 版)
「シドニー・クロスビー」の記事における「プロ入りとペンギンズ時代」の解説
2005年のNHLドラフト1巡目(全体1位)でピッツバーグ・ペンギンズから指名され、入団。ドラフト前から「確実に全体1位指名」といわれ、リーボック、ゲータレード社など数社がすでにスポンサーについていた。 2004-2005シーズンはNHLのオーナー側がロックアウトに踏み切ったので、翌2005-2006年にワシントン・キャピタルズのアレクサンドル・オベチキンと「カルダー・カップ(最優秀新人賞)」を争うことになった。 2005年10月5日のニュージャージー・デビルスとのデビュー戦では、チームのシーズン最初のゴールをアシストしたが、1対5で敗れた。 2005-2006年は102ポイント(得点39・アシスト63)を記録し、最年少100ポイント記録を更新した。ルーキーイヤーでの100ポイントは史上7人目。また110分のペナルティーを取られていたため、「100ポイントをあげた年に100分のペナルティー」という史上初の記録を達成した。カルダーカップは106ポイントを挙げたオベチキンが受賞した。 2006-2007年は120ポイント(得点36・アシスト84)を挙げ、リーグMVPを獲得した。オールスターにも初出場したが、ポイントは挙げられなかった(2005-2006年はトリノオリンピックでオールスターが無かったため、2007年が自身初のオールスターになった)。オフの5月31日にキャプテンに指名された。19歳297日でのキャプテン就任は史上最年少の快挙である。2007年7月、2012-2013年までの契約延長を結んだ。契約金は5年4350万ドル(生年月日にちなみ1年あたり870万ドル)。 2007-2008年も好調ではあったが、怪我での離脱で2年連続100得点とはいかなかった(離脱がなければ110得点のペースだった)。同年12月、カナダの年間最優秀スポーツ選手に与えられるルー・マーシュ賞を受賞した。チームがプレーオフに進み、決勝に上り詰める中、プレーオフではチーム1位の得点数を上げた。 2008-2009年は、前年のような長期離脱はなく、2年ぶりに100得点を突破した(103得点)。しかし、エヴゲニー・マルキンの活躍もあり、チーム得点王にはなれなかった(1チームに100得点が二人もいるのは2年ぶりの出来事である)。プレーオフでは、スタンリー・カップを獲得したチームの中でゴール王。得点ではマルキンに5つの差をつけられたが、前年を上回る31得点をマークした。 カナダ代表として2004、2005年の世界ジュニア選手権、2006年の世界選手権に出場した。地元開催となった2010年バンクーバーオリンピックでは、決勝のアメリカ戦で2-2で迎えたサドンデスの延長7分40秒に劇的な決勝ゴールを決め金メダルを獲得した。2015年の世界選手権で優勝したため、26人目のトリプル・ゴールド・クラブ入りを果たした。 2012年6月29日、2024-25シーズンまでの12年総額1億440万ドルで契約延長。 2015-16シーズンではチームを7季ぶりの優勝に貢献。スタンレー・カッププレーオフの最優秀選手に贈られるコーン・スマイス賞を受賞。 2016-17シーズンは2年連続でコーン・スマイス賞を受賞。
※この「プロ入りとペンギンズ時代」の解説は、「シドニー・クロスビー」の解説の一部です。
「プロ入りとペンギンズ時代」を含む「シドニー・クロスビー」の記事については、「シドニー・クロスビー」の概要を参照ください。
- プロ入りとペンギンズ時代のページへのリンク