フィアットにおける前輪駆動導入まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/12 18:19 UTC 版)
「フィアット・128」の記事における「フィアットにおける前輪駆動導入まで」の解説
フィアットが120番台のモデルナンバーを用い始めたのは、社長がビットリオ・バレッタからジャンニ・アニエッリに交代した1966年に発表した後輪駆動セダン「124」からである。それまで開発コードであった「ティーポ124」という呼び名をそのまま車種名に用いた時からの、いわばフィアットの戦後第2世代シリーズにあたる系統であり、128もそのグループに属すると言える。 それ以前のフィアットにおける戦後第1世代シリーズとしては、戦前型を代替するものとして、モノコックボディを導入した一連のモデルが存在した。 中型車 1400(1950年)/1900(1952年) 開発ナンバーは「ティーポ101」。フロントエンジン・リアドライブ。戦前からの「フィアット1500」(1935年)の後継モデルに当たる。鈍重な形態だが機能面では1500に比して大きく進歩。1950年代を通じてフィアット量産車の最上級モデルとなる。 小型車 1100/103(1953年) 開発ナンバーは「ティーポ103」。戦前1937年からのヒット作・1100(ヌォーヴァ・バリッラ)の後継車で、同様に人気車となる。フロントエンジン・リアドライブ。ヌォーヴァ・バリッラ系1100と区別するため車名に開発ナンバーも添えられた。 コンパクトカー 600(1955年) 戦前以来のベストセラー500トポリーノ(1936年)の後継車。開発ナンバー「ティーポ100」。フィアット初のリアエンジン・リアドライブ車。 超小型車 500(チンクェチェント)(1957年) 600をベースとして更に小型化した超小型車。600と並んで商業的に大成功を収める。 これら第一世代グループは、そのほとんど全てを主任設計者ジアコーサが手がけており、いずれも多大な商業的成功を収めていた。小型の「1100」、中型の「1400」は、いずれも一般的なフロントエンジン・リアドライブ方式を用いて手堅く設計され、実用上十分な性能を得ている。 だがジアコーサは、必ずしも保守派ではなく、コンパクトカー以下のクラスには効率性に優れたリアエンジン方式を採用する柔軟性も備えた技術者だった。従って、より効率に優れた前輪駆動方式にも早くから目を向けていたのである。 戦後の主力車種「1100/103」となる「ティーポ103」開発中の1947年に、ジアコーサは「ティーポ102」という1.1リッターエンジンの前輪駆動車を企画していた。既にこの時点で、エンジンを横置き配置するという着想自体はあったという。だがそのプロジェクトは、前輪駆動車の技術面でネックとなる等速ジョイントの当時における信頼性とコストの問題で、立ち消えになっていた。 そしてフィアットで、ふたたび前輪駆動がプロジェクトとして着目されたのは、1958-1959年の計画車「ティーポ123」でのことだった。1.1リッターセダンとして起案されたこの車は、直列3気筒エンジン縦置き配置、というDKW風のレイアウトが計画されたのみで、実現しなかった。
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