パンデミックの歴史とは? わかりやすく解説

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パンデミックの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 23:24 UTC 版)

パンデミック」の記事における「パンデミックの歴史」の解説

感染症の歴史」も参照 ここでは感染症全般歴史ではなく、『パンデミックの歴史』を記述する感染症によるパンデミック古代より見られ大きな被害与えてきた。 14世紀には黒死病ペスト)がヨーロッパで大流行した。このときの流行では当時ヨーロッパ総人口の約3分の1にあたる、およそ2500万人から3000万人もの死者出したとされるその後ペスト合わせて3回パンデミック引き起こすこととなる(ペストの歴史)。 16世紀にはコロンブス交換によってもたらされ天然痘南北アメリカ大陸猛威をふるい、天然痘免疫を持たなかった先住民人口は約10分の1にまで減少したまた、この天然痘大流行アステカ帝国インカ帝国といった現地政治権力大打撃与え両国滅亡スペイン新大陸制覇一因となった19世紀から20世紀にかけてコレラが、地域変えつつ7回の大流行起こした中国では1855年から慢性的なペスト流行起こっていたが、1894年には香港にその流行拡大し欧米への拡大懸念されたものの、国際協力体制の元隔離検疫体制敷かれ香港外への流行拡大防がれた。これは感染症対す国際防疫体制嚆矢となった1918年にはアメリカでスペインかぜインフルエンザ)が発生し第一次世界大戦ヨーロッパ戦線アメリカ軍大量に投入されたことでヨーロッパへ持ち込まれ、さらに全世界へと拡大した。この流行は翌1919年まで続き死亡者は約5000万人から1億人にものぼった。この時期第一次世界大戦末期にあたり総力戦体制のもと全世界的に軍隊労働者移動が活発となったことがより被害甚大なものとした。流行鉄道河川といった輸送ルート通過して海岸部港湾都市から奥地へと拡散していった。 1980年代以降後天性免疫不全症候群エイズ)の患者全世界増大したが、とりわけ最も感染激しかったサハラ以南アフリカでは全人口の30%以上が感染した国家まで存在し平均寿命大幅な減少複数の国家で見られた。 2019年12月以降新型コロナウイルスSARS-CoV-2)による急性呼吸器疾患COVID-19)が中国湖北省東部武漢市から流行し2020年3月11日、WHOは「新型コロナウイルスの流行について、パンデミック相当である」との見解示した2021年8月16日UTC時点で、全世界で2億人以上の感染者400万人上の死者出ており、被害規模1950 - 1960年代香港かぜアジアかぜ大きく上回っている。 「パンデミック宣言」がなされたものの実際被害小さくて済んだものとしては、2009年新型インフルエンザの世界的流行がある。

※この「パンデミックの歴史」の解説は、「パンデミック」の解説の一部です。
「パンデミックの歴史」を含む「パンデミック」の記事については、「パンデミック」の概要を参照ください。

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