香港かぜとは? わかりやすく解説

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ホンコン‐かぜ【港風邪】

読み方:ほんこんかぜ

1968年香港発生し翌年にかけて世界中で流行したインフルエンザ発生源となった香港では数週間50万人罹患(りかん)するなど、爆発的な流行をみせた。


香港かぜ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 01:25 UTC 版)

H3N2亜型」の記事における「香港かぜ」の解説

香港かぜ(Hong kong flu)または香港インフルエンザH3N2引き起こしたCDCによるインフルエンザ・パンデミック重度指数PSIカテゴリー2価するパンデミックである。H3N2H2N2抗原不連続変異新型ウイルスとして一連の流布引き起こした。香港かぜでは1968年から翌年にかけて少なくともおおよそ50万人亡くなった考えられるまた、アメリカで500万人罹患者出ており、33000人が亡くなった。 この流行ではH3N2H2N2両方トリインフルエンザ共通する遺伝子含んでいたとされる。この新型は豚が人型型の両方感染して、すぐに人間感染するようになった。豚は彼らに分岐している亜型の再分類証拠付けたため、豚はインフルエンザ中間的宿主であることを暗示したしかしながら、他の宿主同様の複数感染をすることができ、から人間への直接感染も可能である。H1N1から直接人間感染するようになった可能性もある。 香港かぜは1957年アジアかぜとの原因となったH2N2と同じノイラミニダーゼ持っていた。内部たんぱく質ノイラミニダーゼ蓄積され抗体結果として他のパンデミック比べ少な感染者ですんだ。しかし、インフルエンザ亜型の間の交差免疫はよくわかっていない。19世紀にH3NX系の感染力に関する血清学的証拠の研究があるものの、H3N2流布としてはじめ広く認知されようになったはこの香港かぜが最初である。香港での発生最初の記録1968年7月13日であり、都市の1エーカー当たり500程度人口密度の場所で確認された。この後2週間最大数の感染至りこの後6週にわたって流行続いたウイルスクイーン・メリー病院隔離された。感染者徴候4日から5日の間続いたシンガポールでも感染報告されている。1968年9月までにはインドフィリピン、北オーストラリアヨーロッパ伝染同時期にアメリカ合衆国カリフォルニア州では、ベトナム帰還兵感染確認されている。1969年には日本アフリカ南アメリカ到達した香港から広まったインフルエンザであるために、日本では香港型、A/香港型と呼ばれることも多い。

※この「香港かぜ」の解説は、「H3N2亜型」の解説の一部です。
「香港かぜ」を含む「H3N2亜型」の記事については、「H3N2亜型」の概要を参照ください。

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