パルティア時代のゾロアスター教に関する諸見解
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「パルティア」の記事における「パルティア時代のゾロアスター教に関する諸見解」の解説
イラン世界における重要な宗教として拝火教とも呼ばれるゾロアスター教があるが、アルサケス朝の宮廷とゾロアスター教の詳しい関係については、やはり史料不足により不明確である。アルサケス朝の諸王が聖なる火を崇める習慣をもっていたことは、初代・アルサケス1世が即位したというアサークの町で、「王朝の火」が保たれていたというカラクスのイシドロスによる記録や、聖火の祭壇に聖木を捧げるパルティア君主の浮彫がベヒストゥンに残されていることからわかる。しかし、このアルサケス朝の王たちによる聖火崇拝をゾロアスター教と判断するかどうかについては学者により見解がわかれる。 日本の研究者山本由美子は、上記のような証拠から、「アルサケス朝の諸王がゾロアスター教徒であったことは明らかである」とする。また、イギリスの研究者メアリー・ボイスも同様の見解に立つ。また後世には、アルサケス朝(アシュカーン朝)の王がゾロアスター教において重要な役割を果たしたとするゾロアスター教伝承もある。ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』の注釈『バフマン・ヤシュトのザンド』では、アフラ・マズダー神がゾロアスターに夢で、金の時代、銀の時代、黄銅の時代、銅の時代、鈴の時代、鋼の時代、土の混ざった鉄の時代と言う、来るべき7つの時代についての啓示を与えたとされる。その中の一節で「銅の時代は、この世に存在した異教を一掃したアシュカーン朝(アルサケス朝)の王の治世」としてパルティア時代が位置付けられている。別の箇所では「アシュカーン朝のヴァラフシュ(ヴォロガセス)はアレクサンドロスによる破壊と危害や、ローマ人の略奪のために、完全な状態から散り散りになっていたアヴェスターとザンド(注釈)を書き留めさせた。神官が口頭で伝えて残っていたことも保存され、他の都市のために写しが造られた」とされている。聖典としての『アヴェスター』はサーサーン朝時代に入ってから編纂されたものであるが、比較文学・比較文化研究者の山中由里子は、これらの伝説からパルティア時代に各地のゾロアスター教集団に口頭で伝わっていた『アヴェスター』の断片が記録された可能性はあるとしている。 一方、アルサケス朝の宗教は古代イランの多神教であり、ゾロアスター教の影響を受けていないという見解もある。カナダのイラン史研究者リチャード・フォルツは、「(多くの研究者が)実質的に古代イラン全体をゾロアスター教徒であると特徴づけているが、このおおざっぱな一般化にはごくわずかしか、あるいはまったく証拠はない」と延べ、ゾロアスター教が初めて体系化されたのはサーサーン朝時代であって、それ以前のイラン系住民の宗教についてはわずかしか分っておらず、サーサーン朝の「ゾロアスター教的」伝統をパルティア時代やそれ以前の時代について投影することには慎重でなければならないという。青木健はさらに議論を進め、王名や考古学的証拠、そしてアルサケス家が王位を占めた隣国アルメニアの資料などから、「パルティア人の間ではミスラ神に対する信仰が盛んだったと考えられる」としている。
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