パルティア戦役及びカストラ・アルバナとは? わかりやすく解説

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パルティア戦役及びカストラ・アルバナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 20:34 UTC 版)

第2軍団パルティカ」の記事における「パルティア戦役及びカストラ・アルバナ」の解説

第1軍団第3軍団姉妹軍団とともに第2軍団パルティカ東部前線のために編成される戦役成功裏終わりパルティア首都クテシフォン陥落したその後軍団イタリアローマ近郊駐屯、カストラ・アルバナ(Castra Albana)を駐屯地とした 。この軍団がこの2世紀の間でイタリア半島駐在する最初軍団となった属州には赴任せずローマ本国駐在するため、この軍団帝政ローマ不安定化要因対す備えとしても、または内部反乱分子対す治安維持部隊としても機能していた。3世紀の危機あるように、この時代皇帝はしばし簒奪者登場悩まされており、この軍団首都近郊駐在させたセプティミウス・セウェルス簒奪者出現危険性理解していた。 しかしながら軍団セウェルスのもとで208年から211年にかけてブリテン島戦役カラカラのもとでは213年アラマン族への戦い赴いている。次に再びパルティア赴くが、217年第2軍団司令官マクリヌスカラカラ暗殺関与軍団シリア属州アパメア駐在するが、そこでマクリヌス見捨てヘリオガバルスの側につく。ヘリオガバルス帝位請求しマクリヌスアンティオキア戦いで敗った。その功績によりヘリオガバルスから「ピア・フィデリス・ピア・アエテルナ(Pia Fidelis Felix Aeterna - 『永遠に誠実で忠実敬虔な軍団』の意)」のコグノーメン贈られた。

※この「パルティア戦役及びカストラ・アルバナ」の解説は、「第2軍団パルティカ」の解説の一部です。
「パルティア戦役及びカストラ・アルバナ」を含む「第2軍団パルティカ」の記事については、「第2軍団パルティカ」の概要を参照ください。

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