パルティア戦役及びカストラ・アルバナ
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「第2軍団パルティカ」の記事における「パルティア戦役及びカストラ・アルバナ」の解説
第1軍団、第3軍団の姉妹軍団とともに第2軍団パルティカは東部前線のために編成される。戦役は成功裏に終わり、パルティアの首都クテシフォンは陥落した。その後軍団はイタリアのローマ近郊に駐屯、カストラ・アルバナ(Castra Albana)を駐屯地とした 。この軍団がこの2世紀の間でイタリア半島に駐在する最初の軍団となった。属州には赴任せず、ローマの本国に駐在するため、この軍団は帝政ローマの不安定化要因に対する備えとしても、または内部反乱分子に対する治安維持部隊としても機能していた。3世紀の危機にあるように、この時代の皇帝はしばしば簒奪者の登場に悩まされており、この軍団を首都近郊に駐在させたセプティミウス・セウェルスは簒奪者の出現の危険性を理解していた。 しかしながら、軍団はセウェルスのもとで208年から211年にかけてブリテン島の戦役、カラカラのもとでは213年アラマン族への戦いに赴いている。次に再びパルティアへ赴くが、217年第2軍団の司令官マクリヌスがカラカラの暗殺に関与、軍団はシリア属州のアパメアに駐在するが、そこでマクリヌスを見捨てヘリオガバルスの側につく。ヘリオガバルスは帝位を請求し、マクリヌスをアンティオキアの戦いで敗った。その功績によりヘリオガバルスから「ピア・フィデリス・ピア・アエテルナ(Pia Fidelis Felix Aeterna - 『永遠に誠実で忠実、敬虔な軍団』の意)」のコグノーメンが贈られた。
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