パルティア語とアラム語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:41 UTC 版)
「パルティア」の記事における「パルティア語とアラム語」の解説
アフロ・アジア語族の一つであるアラム語はパルティア語や中世ペルシア語の筆記に対して重大な影響を与えている。アラム語はアケメネス朝(前550年頃 - 前330年)時代以来、イラン世界全域で共通語として使用されていた。パルティア時代においてもアラム語は共通語として広く普及しており、人々の生活に密着した分野において使用されていたことが現存する文書からわかる。パルティア時代のアラム語の主要な史料はトルクメニスタンのニサ(ミトラダトケルタ)の遺跡から発見された、ほぼ同一の定型文で酒壺の内容物を記した2,500点あまりのオストラコンの文書やアルメニアで出土した前180年頃の境界碑文、グルジア(ジョージア)で発見された前2世紀後半のギリシア語との二言語併記碑文などである。 パルティア語はアラム文字で筆記されたが、単純にアルファベットとしてアラム文字が導入されたのみではなく、アラム語そのままに綴ってパルティア語として「訓む」筆記法が用いられていた。これはパルティア語の他、中世ペルシア語やソグド語でも見られる記法で、ウズワーリシュン(訓じられるべきもの、uzwārišn)と呼ばれた。これは例えば「月」という語を表す時、アラム語式にYRH(yarhā、アラム語では母音を筆記しない)と綴り、パルティア語でmāhと訓読するものである。現存する「アラム語文書」には文全体を逐語的にパルティア語で訓読すればそのまま「パルティア語文書」として訓めるものがあり、このために一見してアラム語で読まれたのかパルティア語で訓まれたのかを判別することが困難である。こうした文書の中にはパルティア語の末尾音を示す「送り仮名」の役割をする文字がある単語も見られ、これによってその文書がパルティア語で読まれたことが判別可能である場合もある。イラン研究者の伊藤義教は、パルティア時代の文書では、「一見しただけでは、アラム語にパルティア語詞を借用混書しているかの印象を与えるほど、アラム語の文法やシンタックスが正しく保持されている。」と述べている。 パルティア期にはテキスト全体がアラム語でもパルティア語でも読める程度にアラム語の正しい形を保持していたこうした筆記法は、サーサーン朝期に入ると次第に化石化し、特定のアラム語の単語を決まり事にしたがって訓読するという方式で習慣的に混書されるようになり、アラム語本来の文法的形態は考慮されなくなっていった。
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