パルティザン空軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 18:48 UTC 版)
「パルチザン (ユーゴスラビア)」の記事における「パルティザン空軍」の解説
かつてユーゴスラビア王国軍に属していたクロアチア独立国空軍のパイロット、フラニョ・クルズ(Franjo Kluz)およびルディ・チャヤヴェツ(Rudi Čajavec)が、複葉機ポテーズ 25およびブレゲー 19を伴ってボスニアでパルティザンに投降したことにより、パルティザンは1942年5月に空軍力を獲得した。2人のパイロットはその後、これらの爆撃機を使って枢軸勢力と戦った。空軍を運用するインフラストラクチャが十分ではなかったためにパルティザン空軍は短命に終わったものの、これは対独レジスタンスが空軍力を持った初めての出来事であった。その後、枢軸勢力から鹵獲した航空機などによってパルティザン空軍は再建され、後のユーゴスラビア空軍となる。
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