パシフィック電鉄と日本の私鉄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 16:03 UTC 版)
「パシフィック電鉄」の記事における「パシフィック電鉄と日本の私鉄」の解説
パシフィック電鉄は、通勤輸送の比重が大きく、路線の建設に伴い、郊外の開発が進んだという点で、他のアメリカのインターアーバンとは一線を画す存在である。これはアメリカの市街電車にはよく見られた特徴であるが、専用軌道主体で比較的高速の輸送を行った会社は他にはなく、アメリカの他地域の電気鉄道よりは日本の電化私鉄のほうによく似ていた。 パシフィック電鉄と日本の私鉄が類似するようになったのは、電気鉄道技術の発展にあわせて人口増加が進んだ事、地域内の幹線鉄道であるサザン・パシフィック鉄道の子会社であった事から他路線との住み分けが行えた事などにあるが、日本の初期の電鉄技術者・経営者の一部は路線建設にあたってパシフィック電鉄の視察を行っており、直接の影響を受ける側面もあった。 阪急電鉄、東京急行電鉄等は、鉄道延伸と宅地開発を並行して行うPE・ハンティントンの手法を創業期から積極的に取り入れ、成功した事例といえる。しかし、本家であるところのPEの沿線開発によるベッドタウンは、当初の中産階級住民がフリーウェイ網の拡大と共に、郊外のより広大な住宅に移り、代わって沿線は有色人種を中心とした“クルマも持てない”所得の低い住民の住む街となっていった。さらに、PE(最終期にはLAMTAロサンゼルス市交通営団に買収)路線廃止数年後かつてのロングビーチ線沿線でワッツ暴動が発生。この背景には、鉄道廃止により整備された公共交通を欠いた地域となったことへの市民の不満も一因であるとされる。この暴動と前後し、沿線のうちサンフェルナンド渓谷、サウス・セントラル周辺は全米有数の凶悪犯罪が多発するスラム化した地域となっていった(なお、ハリウッドやサンマリノといった全米有数の高級住宅地もPE沿線で、PEの建設に伴って開発された住宅地であり、沿線がすべてスラム化したというわけではない)。現在旧PE路線網をなぞるように整備が進むロサンゼルス郡都市圏交通局(通称ロサンゼルス・メトロ、略称LACMTA。LAMTAの後身)のライトレール路線網は、公共交通整備によるスラムクリアランスの意味合いが強いといわれ、実際自家用車を保有する層がこうした公共交通へと転移することは殆ど無い。このことを考えると、デベロッパーとしてのPEの手法は、本家たるロサンゼルスでは定着することなく終わり、むしろその密集度から移動手段を完全に自家用車に依存することが不可能な、日本の首都圏や京阪神地域等で定着を見たといえなくもない。 一方、日本では現在においてもPEを源流とする部分を垣間見ることができる。たとえば京浜急行電鉄の様な赤系統の電車車体色、名古屋鉄道や伊勢電気鉄道が採用したローマン書体の車両番号や電気機関車車体色等に影響が及んでいるといわれるほか、関東バスの車体色はパシフィック電鉄のバス車体色をほぼそのまま模している。但し地色は関東バスの白に対しパシフィック電鉄のそれは銀であった(1950年代初頭には関東バスも地を銀塗装としていた)。またロゴも類似した形状である。企業イメージをリードする車体塗装からも、初期の電気鉄道・バス事業者にとってPEはある種の規範として、常に脳裏に刻み込まれていたことが伺える。 京急の電車の車体色はパシフィック電鉄を範として赤が基調 名鉄のローマン書体の車番 関東バスの車両。パシフィック電鉄のバス車体色をそのまま採用
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