バルバロッサ作戦 - 東部戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/05 08:49 UTC 版)
「ブランデンブルク (特殊部隊)」の記事における「バルバロッサ作戦 - 東部戦線」の解説
詳細は「バルバロッサ作戦」を参照 1941年にソビエト国境を越えた最初の部隊はブランデンブルク連隊である。初日にブランデンブルクは、渡河作戦のために道路および鉄道ジャンクションを占拠・確保した他、赤軍の通信・補給線を無力化して大混乱に陥れた。 バルバロッサ作戦序盤、ブランデンブルクの部隊はラトビアのダウガフピルスにあるダウガヴァ川にかかる橋を占拠し、北方軍集団のレニングラードへの進軍に対する遅滞工作を阻止した。 その間に、沿岸猟兵大隊(Küstenjäger-Abteilung)は黒海、バルト海およびアゾフ海沿岸で多くの水陸両用作戦を展開した。 ウクライナでは、ブランデンブルクはウクライナ人志願兵部隊ナハチガル大隊(Battalion Ukrainische Gruppe Nachtigall)と協力し、中央軍集団を支援した。部隊はウクライナ人部隊の戦闘力が疑問視されていたにもかかわらず、絶大な成功を収めた。 1942年10月初旬には、バルト三国出身のドイツ人およびズデーテン・ドイツ人ら62名からなるブランデンブルクはアドリアン・フォン・フェルカーザム男爵( Adrian von Fölkersam)に率いられ、他のどの友軍より敵陣深くまで侵入した部隊となっていた。 フェルカーザムは重要拠点マイコープ油田の占領および確保を命じられており、味方から非常に恐れられているNKVD部員に変装してソビエトのトラックを運転し、ソビエト前線を通過、後方へ潜入した。そこで前線から逃げてきた赤軍脱走兵の大集団と偶然出くわした。フェルカーザムはこの好機を利用し、(NKVD将校に扮しているので)彼らを軍に復帰するよう説得して協力させ、ソビエト軍後方をほとんど自由に移動できるようになった。 フェルカーザムは身元を偽ってスターリングラードのトルーキン(Truchin)NKVD少佐と称し、自分の任務は脱走兵を復帰させ、マイコープの守備につけることだとマイコープの指揮官に説明した。指揮官はフェルカーザムを信用しなかったが、翌日には都市の守備状況を視察させた。8月8日までに、ドイツ軍先鋒は12マイルの距離まで近づいていた。ブランデンブルクは行動を開始し、手榴弾を砲撃に擬態して使用し、市の軍通信センターを破壊した。フェルカーザムはそれから赤軍守備隊に出向き、兵の退却が起こっていると話した。守備隊指揮官にはそれを確認あるいは否定するための通信手段がなくなっており、赤軍はマイコープから本当に撤退を開始した。8月9日、ドイツ軍先鋒は抵抗を受けずにマイコープに入った。 これはソビエト侵攻においてブランデンブルクが遂行した数百ある作戦のうちの一例に過ぎない。 1943年まででもっとも一般的だった任務は長距離偵察である。1942年のウクライナにおける南方軍集団の進軍では、ブランデンブルクはふたたび戦役初期のころのような任務(戦車隊の進軍の支援のための橋・道路・鉄道ジャンクションの占拠、赤軍司令部および指揮系統への攻撃)に就いた。ほとんどの場合、これらの作戦は赤軍の軍服を着て捕獲した赤軍車両に乗った20名から60名の部隊で遂行された。
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