在東欧ERR(1941年 - )
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「全国指導者ローゼンベルク特捜隊」の記事における「在東欧ERR(1941年 - )」の解説
ポーランドにおける略奪は、1939年から1940年のポーランド攻略が完了した直後からポーランド総督府幹部将校カイェタン・ミュルマン(ドイツ語版)の主導により行われた。1941年6月にはバルバロッサ作戦の発動と共に独ソ戦が始まり、その後東部占領地域大臣(ドイツ語版)に就任したローゼンベルクの命令によりERRが東欧へ派遣された。東部戦線へ進出したERRはすぐ支所 (Außenstelle) を設置し、さらにオストラント (Ostland)、中央 (Mitte)、ウクライナ (Ukraine)という3つの主要行動隊 (Hauptarbeitsgruppen, HAG) を組織した。オストラントHAGはバルト三国を、中央HAGはベラルーシおよびロシア西部を、ウクライナHAGはウクライナを担当地域とした。東部戦線におけるERRの活動はしばしばゾンダーコマンド・キュンスベルク(ドイツ語版)やアーネンエルベといった親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーが指揮する組織と衝突することになる。これらの3組織はいずれも親衛隊および国防軍による協力の元、美術品や文献等の略奪ないし破壊をその任務としていた。
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