在東説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:38 UTC 版)
魏志によるか後漢書によるかで2つに分かれる。 後漢書に従う説。魏志倭人伝は「東に海を渡る千里また国あり皆倭種」と「狗奴国」を別のものとしているが、後漢書東夷伝が両者を同一視していることから狗奴国を南ではなく東に想定するものであり、文献批判的にはやや弱い。 魏志倭人伝の方角は90度傾いているとして、南をすべて東に読み替える説。この場合は狗奴国は邪馬台国の東方にあったと考えられる。 魏志倭人伝から「邪馬台国の南」ではなく「女王の境界の尽きるところ」である「奴国の南」に狗奴国があると解釈して、東方にもっていく。(「女王の境界の尽きるところ」の方角は明記されていないため東方とも解釈可能) 四国説:邪馬台国九州説を前提とする説。伊予説:本居宣長は伊予国風早郡河野郷に比定している。 讃岐説:古田武彦は瀬戸内海に狗奴国を比定したがその後「讃岐国」とした(さらに後には近畿地方とした)。 近畿説:最晩年の古田武彦ほか、邪馬台国吉備説の論者と一部の九州説論者が主張。 出雲説:邪馬台国は九州にあったとする。 東国説:下記のうち関東説は古い学説だが、それ以外の諸説は80年代以降とくに注目されるようになったもので最近の有力説。近江説:主に考古学的な根拠によるもので近江を中心に美濃の一部まで含む。 尾張説:尾張を中心に伊勢の一部や美濃の一部を含む。愛知県一宮市の萩原遺跡群をはじめとして伊勢湾岸一帯からS字甕が大量に発掘されていることから、大型の前方後方形墳丘墓を営んで濃尾平野の一帯に広がっていた勢力が狗奴国だとする。また濃尾平野の北端に位置する岐阜市内の「加納」という地名や、濃尾平野の西に隣接する三重県桑名市の「桑名」という地名に関係付ける論者もいる。邪馬台国に匹敵する大国という(この勢力はのちに古墳時代前期前半に前方後方墳を造営する東日本の諸勢力の前身とみる説もある)。 遠江説:静岡県西部(遠江)を狗奴国の中心とみる(東方では同県東部(駿河)まで含むとする場合もある)。 関東説:狗奴国を「毛野国」(群馬県・栃木県)に同定する。
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