初期の軍務
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1914年、第一次世界大戦が勃発、士官の速成教育が急務となり、「独立士官見習(ロシア語版)」制度が設けられた。イサコフにもようやく海軍将校への門扉が開かれ、同年夏、兵学校試験に合格、9月25日士官見習に任官。練習船での南洋航海を終え、二月革命後の1917年3月に少尉に任命された。彼は十月革命後もバルチック艦隊に残り、「イジャスラフ」、「リガ」、「コープチク」、「コールシュン」等の艦艇で勤務した。1918年、彼はブレスト=リトフスク条約が結ばれるまで、ドイツ帝国海軍とのいくつかの戦闘に参加した。この条約により、ロシア=ドイツ間の戦争は終結し、バルト海はドイツ軍に明け渡された。1918年3月、イサコフはヘルシンフォールズ海軍基地からの「バルチック艦隊氷海巡航」 (Ледовый поход Балтийского флота) 作戦に参加し、同作戦によりロシアの戦艦および砕氷船は、バルト海からペトログラード近郊のクロンシュタット海軍基地に移された。 1920年、イサコフは駆逐艦「デヤーテリヌイ」に配転され、同艦は下ヴォルガ川からカスピ海を警備し、後にはロシア内戦の最中に連合国干渉軍の拠点を砲撃した。戦闘におけるその優秀性が認められ、1921年、彼は駆逐艦「イジャスラフ」の砲台指揮官に任ぜられた。1922年から1927年、彼は黒海艦隊において、作戦参謀および参謀副長を務めた。1928年、イサコフはレニングラードのヴォロシーロフ名称海軍アカデミー先任将校訓練課程・上級コースを修了した。
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初期の軍務
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「エーリッヒ・ベーレンフェンガー」の記事における「初期の軍務」の解説
西プロイセンのメンデンで郵便職員の息子として生まれ、1933年に突撃隊に入隊した。1936年、ベーレンフェンガーは歩兵連隊に入隊、その後、軍曹に昇進し、1939年4月には少尉にまで昇進した。第2次世界大戦勃発後の1939年9月から1940年6月まではポーランド、フランス両戦線で小隊長を務め、1941年前半にはバルカン半島で戦った。1941年、バルバロッサ作戦が発動すると、ベーレンフェンガーは東部戦線に異動、タマン半島、クリミア半島で戦った。コーカサスの戦闘における勇敢な行為に対して、彼は柏葉剣付騎士十字章を授与され、また同盟各国からも数々の勲章を授与した。その後、ヒトラー・ユーゲントの軍事教官に転任した。
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