初期の通勤形車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:21 UTC 版)
「通勤形車両 (鉄道)」の記事における「初期の通勤形車両」の解説
明治時代中期に鉄道が大衆化すると、長距離の移動のみならず、短距離の通勤・通学にも利用されるようになった。東京などの大都市では特にその傾向は顕著であった。その時代の中でも1895年に京都に初登場した電車は、都市部を中心に各地で運転されるようになるが、徐々に大型化し、1910年頃には15m級のボギー車が出現していた。 当時の鉄道車両は(長距離用鉄道車両は現在でも)、車体の一端1か所または両端の2か所にドアを設置しているのが普通であった。しかし、これではドア付近に乗客が固まりがちで、混雑時には円滑な乗降が困難であった。 日本でも、明治時代末の大都市ではすでに2ドア電車ではラッシュ時の乗客を捌けきれなくなりつつあった。大正時代の始めから、国鉄(当時鉄道院)や主要私鉄の電車に車体中央にもドアを設けた3ドア電車が出現する。東京市(現・東京都交通局)や大阪市の路面電車も、大正中期以降3ドア化が進展した。 そして、電車の大型化(最大17m級)が進んだ大正時代末期以降は、ほとんどの私鉄が通勤輸送向けに3ドア電車を用いるようになった。
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