初期の選挙戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/16 15:58 UTC 版)
1993年のニューヨーク市長選に「家賃がクソ高すぎる党」の公認候補者として出馬した。マクミランにとっては初めての経験となったこの選挙戦で、彼はあるとき、木に括り付けられてガソリンをぶっかけられた。その後、彼はブルックリン橋に自ら登り、「テレビ局が俺の主張を放送するまではここから降りない」と言った。マクミランは、一般投票用紙への記載に必要な請願数7500票に300票足りず、投票用紙に名前を載せることができなかった。 マクミランは次に、1994年のニューヨーク州知事選に出馬した。このときは住んでいるブルックリンから徒歩でアップステート・ニューヨークを通ってバッファローまで行った。道中、ホームレスの避難所に泊まりながらの旅だった。なお、帰路も徒歩で行こうと思ったが、ロチェスターでケガをしたため、やむなくバスで戻った。バッファローに着いたとき、民主党の州規模の党大会が開かれていた。そこでマクミランは州知事候補マリオ・クオモの演説を邪魔して中断させたところ、会場からつまみ出された。投票用紙に名前を載せることが必要な署名の数が足りなかったため、名前を筆記することで投票することになる候補として活動を続けた。 2000年の合衆国上院選においてもニューヨーク州の議員候補として立候補したが、投票用紙に名前が記載されなかった。 2005年と2009年のニューヨーク市長選における11月総選挙投票用紙には適格性が認められ、2005年には、4,111票 (0.32%)、2009年には、2,332票 (0.2%)を得た。 2006年のニューヨーク州知事選では、13,355票 (0.3%)を得て、6人の候補者中5位につけた。
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