初期の郵便馬車のルート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/06 09:36 UTC 版)
「フランチェスコ・デ・タシス1世」の記事における「初期の郵便馬車のルート」の解説
1504年11月26日にカスティーリャ女王イサベル1世が没すると、フィリップ美公は、フェルナンド2世とイザベル1世の娘であった妻フアナを介して、その領土を継承した。1505年1月18日、フィリップ美公はタシスに、ブリュッセルやメヘレンをはじめ、新たに統治下に入った地域への郵便拠点の開設を認め、夏冬の季節を問わず確実に郵便をやりとりできる条件が整えられた。 当時の郵便馬車のルートについてのデータは、以下のような一部のデータが伝えられている。 ブリュッセル=インスブルック:5日半(冬季は6日半) ブリュッセル=パリ:44時間(冬季は54時間) ブリュッセル=レンヌ:2日半(冬季は3日) ブリュッセル=リヨン:4日(冬季は5日) ブリュッセル=グラナダ:15日(冬季は18日) ブリュッセル=トレド:12日(冬季は14日) 長距離の輸送は、多数の補給拠点や馬の交換拠点をルートの途中に設けることで可能になっていた。 1506年3月に、タシスがメヘレンで、インスブルック宛の郵便を中継した送付明細書が残されており、少なくともネーデルラント郵便ルート (Niederländischen Postroute) が確立されていたことは間違いない.。
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