初期の鉄道敷設運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:15 UTC 版)
千葉県内では1886年(明治19年)頃から蒸気機関車による鉄道建設の運動が始められ、1887年(明治20年)11月に佐原の伊能権之丞らが発起した武総鉄道会社と、成東の安井理民らが発起した総州鉄道会社が相次いで創立の申請を行った。しかし、当時は従来からの水上交通の実績に対する評価が高く、また利根運河の開削も決まったばかりだったため、千葉県知事であった船越衛が鉄道敷設に対して慎重な姿勢をとるようになった。船越は両者に対し計画の翻意や合併を促してきたが、総州鉄道はこれに応じず東京都知事である高崎五六を通じて正式に鉄道敷設を出願した。これを受けて船越もやむなく千葉県知事として武総鉄道を内閣に進達したが、「利根・江戸両川の水運が至便であるうえに、この地方の状況は鉄道敷設を必要とするほど発展していない」などとして結局どちらも却下されている。 1887年(明治20年)11月に申請された計画ルート 武総鉄道株式会社:本所 - 市川 - 船橋 - 千葉 - 佐倉 - 成田 - 佐原 総州鉄道株式会社:本所 - 市川 - 船橋 - 千葉 - 佐倉 - 八街 - 芝山 - 八日市 - 銚子
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