初期の運航歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/30 04:18 UTC 版)
「メイコン (飛行船)」の記事における「初期の運航歴」の解説
メイコンは1933年10月12日に東海岸を出発し、カリフォルニア州サンタクララ郡サニーヴェール海軍航空基地(現モフェット連邦飛行場(モフェット・フィールド))を母港とした。メイコンは姉妹船アクロンよりも生産技術の確立に貢献する事が出来た。メイコンの指揮官は、飛行船が行動中の敵の察知できない距離を確保しつつ、搭載した飛行機を使って敵の偵察を行う技術と方法論を編み出した。メイコンは何度か艦隊の演習に参加したが、演習を計画し実行した将校達は「ZRS」の能力と弱点への理解が欠如していた。後に飛行船に搭載されたF9C-2戦闘機の降着装置を取り外し、代わりに燃料タンクを装備することが常態化し、それによって航続距離を30%増大させた。 1934年後半、ハーバート・ワイリー少佐はメイコンによって、ハワイから戻ってくる途中のフランクリン・ルーズベルト大統領を乗せた重巡洋艦ヒューストンを捜索し、位置を突き止めることによって大統領(とヒューストン巡洋艦の乗組員達)を驚かせた。新聞が船上の大統領に投下され、それの応答として次の通信がメイコンへ送り返された。 『「ヒューストン」発:大統領は貴官とその飛行船に対し、その優秀な航法術と見事な行動に関して敬意を表する。新聞をありがとう、よくやってくれた。大統領』 艦隊司令長官のジョゼフ・M・リーヴズ提督は、この出来事に狼狽したが、海軍の航空局長官だったアーネスト・キング提督は冷静に受け止めた。ワイリーは直ちに中佐に昇進した。
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