ネトルズとの出会いと最初の布教活動
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「マーシャル・アップルホワイト」の記事における「ネトルズとの出会いと最初の布教活動」の解説
1972年、アップルホワイトは神智学や聖書の予言に興味を持つ看護婦であるボニー・ネトルズ(英語版)に出会った。彼らはすぐに親しい友人となった。アップルホワイトが回想した際には、彼は彼女とかなり前から知り合いであり、前世でも知り合いであったと結論付けた。ネトルズは、アップルホワイトに自分たちが出会ったのは地球外生命体によって予言されていたものだと語り、彼に神から職位が与えられていると主張した。その時までに、占星術を含む伝統的キリスト教教義の代替について調査を始めた。彼はまた、様々な視点を獲得し、その中には彼がイエス・キリストの様な役割に選ばれたというものも含まれていた。2005年のアップルホワイトのプロファイルにおいて、プロファイルの作成者スーザン・レイン (Susan Raine)は、この時期、統合失調症を発症していたと推測している。 アップルホワイトは、程なくしてネトルズと共に生活し始めた。彼らは同棲していたものの、そこに性的関係はなく、アップルホワイトが長年望んだ深く、特にプラトニックな関係による愛を満たすことになった。ネトルズは既に結婚しており、子供も二人いたが、後にアップルホワイトと親密になったことから、結局ネトルズは離婚することになり、子供の親権も失っている。アップルホワイトも同様に、家族とのつながりを全て絶っている。彼は、ネトルズの事をソウルメイトであると考えており、彼の知人数人は、後に彼女はアップルホワイトに強い影響を与えていたと回想している。レインはネトルズは「アップルホワイトの湧き出てくる妄想的信念を増強する原因であった」と書いているが、精神科医であるロバート・J・リフトンは、ネトルズの影響はアップルホワイトの更なる精神状態の悪化を回避させたと推測している。 アップルホワイトとネトルズは、ザ・クリスチャン・アーツ・センター (The Christian Arts Center)として知られる書店を開店した。この店は、様々な精神的背景から選ばれた本が陳列されていた。彼らは更に、ノー・プレイス (Know Place)として知られるベンチャーを始動させた。このベンチャーは、神秘主義や神智学について教える教室であった。しかし、これらの事業は短期間で廃業となっている。1973年2月、彼らは、自身の思想を広めるためにアメリカ合衆国南西部からアメリカ合衆国西部を旅行することを決意した。リフトンは、彼らの旅行について、「落ち着かず、激しく、しばしば途方に暮れた、歩き回る霊的な旅」であったと述べている。旅行であるにも関わらず、彼らは少額の金銭しか持っておらず、必要な多額の支払いのために、時折、売血をしたり、短期労働に従事していた。彼らは、ロールパンのみで生活したり、しばしば野宿をしたり、時には宿泊費を踏み倒したりしていた。ヒューストンの彼らの友人の一人は、彼らと文通しており、彼らの教えを受け入れることに同意した。アップルホワイトらは1974年5月に彼女を訪問しており、彼らの最初の信者となった。 この旅行の間、アップルホワイトとネトルズは、アッシジのフランチェスコの生涯について熟考し、ヘレナ・P・ブラヴァツキー、ロナルド・D・レイン、リチャード・バックといった様々な作者の著作を読んだ。彼らは、欽定訳聖書を保有しており、また新約聖書のいくつかの章を研究した。特に、キリスト論や禁欲主義、キリスト教終末論(英語版)に関する教えに注力していた。アップルホワイトは、ロバート・A・ハインラインやアーサー・C・クラークの著作を含む、サイエンス・フィクション作品も読んでいた。1974年6月までに、アップルホワイトとネトルズの信条は、必要最小限の概要に固まった。彼らは、自身達が聖書の予言を履行するために選ばれたのであり、加えて自分たちが他の人間と比べて高レベルの魂を与えられたのだと結論付けた。彼らはパンフレットに、テキサス人としてのイエスの生まれ変わりが、アップルホワイトであると、ぼかされながらも言及されていた。その上、彼らは、自身達がヨハネの黙示録で言及されている二人の証人(英語版)であると結んでおり、時折、教会や別の霊的グループを訪れ、自身の教義を語っていた。その際には、しばしば彼ら自身を「ザ・トゥー (The Two)」または、「ザ・ユーフォー・トゥー (The UFO Two)」であるとしていた。彼らは、自分たちが将来殺され、人生を復興させる、別の観点からいうと、宇宙船に移されると信じていた。この出来事を彼らは「実証 (Demonstration)」と述べており、彼らの主張を証明するためのものであった。この考えは、ほとんど受け入れられることはなく、彼らを狼狽えさせた。
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