トレインマーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 17:49 UTC 版)
「方向幕#ヘッドマーク」および「ブルートレイン_(日本)#沿革」も参照 国鉄時代の特急の特色として、綺麗なデザインが施されたヘッドマークやテールマーク(両方合わせて本節で「トレインマーク」という)がある。列車の前後、中央部に目立つように掲示したものである。戦前にすでに運行されていた「富士」「さくら」の列車愛称命名時に絵柄を入れた金属製のものを取り付けたのが端緒である。 戦後、1950年(昭和25年)に復活した特急「へいわ」号以降、特急列車のシンボルとして列車の前後に取り付けられるようになった。以降、特急列車である「つばめ」・「はと」・「さくら」・「かもめ」・「あさかぜ」・「はつかり」・「さちかぜ」・「平和」・「はやぶさ」・「みずほ」まで絵柄入りのトレインマークが用意された。 しかし、"ビジネス特急「こだま」"用として1958年(昭和33年)に登場したモハ20系→151系電車(のちの181系電車)には、「特急マーク」と称される「T」をモチーフにしたエンブレムや、日本国有鉄道の英略である「JNR」をモチーフにしたロゴを制定したものの、トレインマーク自体は列車名のみのものとなった。この後に登場した気動車初の特急形車両であるキハ81系気動車も151系電車の特急マーク・国鉄ロゴ・ボンネットスタイルを踏襲し、トレインマークについては列車名のみとなった。 またブルートレイン用客車の20系客車では、電源車・緩急車のテールマークについては当初地色を列車ごとに変えたが、のちに白地に濃紺(ローマ字表記は赤)でいずれも列車名のみを表示する形とした。後継の14系・24系といった客車も当初は列車名のみの表記となっていた。 客車の絵柄入りのテールマークは廃されたものの、機関車取り付けのヘッドマークは残り、寝台特急のシンボルとなった。その一方で、取り外しが面倒、費用が嵩む、あるいは盗難にあうなどの理由で1975年(昭和50年)には東京 - 西日本・九州方面のブルートレイン7列車以外はすべて廃止された。 しかしながらその3年後、1978年(昭和53年)10月には話題性も目論んで、すべての電車特急にイラストを施したトレインマークを採用することになった。当初は、交換が容易な幕式愛称標を備えた制御車に採用されたため、同じ電車列車でも透過式アクリルトレインマークを使用したボンネットタイプの制御車を持つ車両ではイラストなしの愛称標を使用していた。続いて、14系・24系を使用したブルートレインに波及し、幕式愛称標を装備していなかったキハ82系・181系気動車も1985年(昭和60年)1月までに絵柄入りトレインマークが採用された。 1987年(昭和62年)4月1日のJR発足後の新型車両については、LEDを利用したトレインマークが採用されたり、トレインマーク自体を掲げなったりするものも増加した。代わりに、車両を特徴付けるエンブレムやロゴマークを車体に直接表示する場合も増えた。絵柄入りトレインマークを使用する場合も、JR西日本の北近畿ビッグXネットワークやJR四国の各特急列車など図案を簡略化したものも現れた。
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