トレイン・シェッドの発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 01:19 UTC 版)
「トレイン・シェッド」の記事における「トレイン・シェッドの発展」の解説
1851年、ロンドン万国博覧会の会場として建てられた水晶宮は、鉄骨とガラスを多用し、建築界に大きな衝撃を与えた。1850年代のトレイン・シェッドにもその影響は現れており、自身も万国博委員であったイザムバード・キングダム・ブルネルはロンドン・パディントン駅(2代目、1854年)のトレイン・シェッドを設計した。 1860年代になると、大都市の主要駅は多数のプラットホームを持つ大きなものになり、トレイン・シェッドもそれにつれて大型化した。トレイン・シェッドの幅や高さ、径間などの競争は、鉄道会社や技術者にとっての名誉をかけたものでもあった。この頃になると、橋梁の技術者がトレイン・シェッドの設計に大きな比重を占めるようになる。代表的な例としてはロンドン・セント・パンクラス駅(1869年)におけるウィリアム・ヘンリー・バーロー(英語版)、ブダペスト西駅(1877年)におけるギュスターヴ・エッフェルなどがある。 北アメリカでは、駅の規模は同時代のヨーロッパと比べ小さなものだったが、1871年に開業したニューヨークのグランド・セントラル駅以降、ヨーロッパの主要駅に匹敵するようなトレイン・シェッドを持つ駅が現れている。 1870年代から80年代には、それまで駅舎ファサードによって隠されていたトレイン・シェッドが、直接市街地と向き合うようなデザインが現れてくる。この傾向はドイツにおいて顕著であり、1882年に開業したベルリン市街鉄道の主要駅では、駅舎の機能が高架下に収められたこともあり、アーチ型のトレイン・シェッドそのものがほぼ駅の外観となった。もっともこうした動きには抵抗もあり、ブダペストでは1877年に開業した西駅はトレイン・シェッドの前面が市街に向かって露出していたのに対し、奇異感を覚える市民が多く、1884年開業の東駅ではトレイン・シェッドはファサードで隠されている。一方でイギリスでは駅舎とトレイン・シェッドを別のものとする考え方が続いた。 またこの時期には、コンコースの建築にもトレイン・シェッドの影響が現れている。コンコースの屋根は線路やホームを覆っているわけではない。しかし隣接するトレイン・シェッドと連結した空間として、トレイン・シェッド同様の高い屋根を持つ広い空間が造られた。このような変化はまずアメリカで現れ、ヨーロッパにも波及した。 水晶宮(1851年) セント・パンクラス駅 ブダペスト西駅 グランド・セントラル駅 ベルリン市街鉄道・アレクサンダー広場駅 ブダペスト西駅(外観) ブダペスト東駅
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