チーム・レラ
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(TEAM RERA FORMULA ONE) 日向俊郎(ひゅうが としろう) この作品の主人公、23歳(1992年・連載開始時)。F3やF3000で弱小チームを渡り歩いてはそのチームを優勝に導いた天才ドライバー。鳴り物入りでレラに加入して以来、そのテクニックと情熱でチームをトップチームへとのし上げる原動力となる。「ソニックターン」という驚異的なコーナリングと「セナ足」と肩を並べるほどのアクセルワークが武器。普段は脳天気かつ軽薄とも取れる性格だが、レース、そしてライバルに対してはかなり熱い性格を見せる。しかしその一方で精神的に弱い面もあるのか、物語の後半では最大のライバル・バトラーの引退によってレースへの情熱を失い、自らも引退を考えるほどになってしまったり、チャンピオンの懸かった1994年シーズンの鈴鹿では、緊張からかレース前にモーターホームに引き篭もるなどといった場面もあった。両親を事故で失っており、1994年のサンマリノGPでアイルトン・セナが事故死した時にはレース(運転)に対する一定の恐怖心を果穂に打ち明けている。 所属チーム1992年レラ・コスワース(第15戦日本、第16戦最終戦オーストラリア) 1993年レラ・スプレンダー(全戦) 1994年レラ・フォード(開幕戦ブラジル~第5戦スペイン)レラ・カムイ(第6戦カナダ~第16戦最終戦オーストラリア) ジョー・S・カジワラ(Joe S Kajiwara) レラのエースドライバー、30歳(1992年)。デトロイト生まれの日系2世アメリカ人で本名は「Joseph Shingoro Kajiwara」。レラの結成当時からドライバーを務めている。しかしデビューシーズンは全戦予備予選落ち、2年目となる1992年シーズンも予選を通過してもリタイアを重ね、一度もレースを完走出来ないという屈辱的なシーズンを送っていた。しかし、俊郎の加入によるチームの進化に同調する様にレースでの完走、入賞を増やすようになっていく。俊郎に対しては、仲間意識に引けを取らない程のライバル心を持っており、1993年シーズンの鈴鹿でそれを一気に表面化させ、1994年シーズンのマーキュリーへの移籍を決める事になる。とても熱い性格で、彼の叱咤激励もレラをトップチームへ育て上げる力となった。普段は土佐弁を話す。尊敬するドライバーはエマーソン・フィッティパルディ、ジル・ヴィルヌーヴ。 所属チーム1991年レラ・エンジン不明(全戦) 1992年レラ・コスワース(全戦) 1993年レラ・スプレンダー(全戦) 1994年マーキュリー・スプレンダー(全戦) 真田果穂(さなだ かほ) この作品のヒロイン的存在、現役高校生の16歳(1992年)。レラのチーム監督である真田幸冶の娘。実質はチームスタッフでは無いが、ほとんどのレースに同行している(最終話では、卒業後にチームに就職する事を示唆している)。俊郎に対しては、最初の内はその脳天気な性格を軽蔑していたようだが、共に選手権を戦っていくうちに信頼と好意を寄せるようになっていく。気の強い性格で、騒ぎ立てるマスコミを黙らせたり、サポーターに襲いかかったりとかなりのおてんば娘だが、食事当番でシチューを作る(但し、ニールのイタズラによってこぼしてしまった為、味は不明)など家庭的な一面も見せる。 真田幸冶(さなだ こうじ) チーム・レラ監督。1988年にチーム・レラを旗揚げし、ヨーロッパのF3000に参戦。チーム通算6勝をあげたのち、1991年からF1へとステップアップを果たす。1994年シーズン途中のカムイによる買収により、神麗香がチームオーナーとなるが、真田はそのままレラの監督としてレースに関わり続ける。妻と娘の果穂が居り、妻は日本に残っている。俊郎には絶対の信頼を置いており、また俊郎も真田を「おやっさん」と呼んで慕っている。 ケビン レラの技術スタッフ。多くのチームスタッフの中でも数多く作中に登場する名脇役。キーボードの打ち込み・計算を得意としている様で、そのスピードは麗香を上回る。
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