ダンケルクの撤退とは? わかりやすく解説

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ダイナモ作戦

(ダンケルクの撤退 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/11 10:43 UTC 版)

ダイナモ作戦(ダイナモさくせん、Operation Dynamo)は、第二次世界大戦ダンケルクの戦いにおいて、1940年5月26日から6月4日にかけて行われた、連合軍の大規模撤退作戦イギリス側コードネームである。イギリス海軍中将バートラム・ラムゼーが本作戦を計画し、イギリス首相ウィンストン・チャーチルにダイナモ・ルーム(ダイナモすなわち発電機があるドーバー城地下の海軍指揮所の一室) にて概要を説明したことから名づけられた[1]ダンケルクからの撤退(Dunkirk evacuation)とも。




  1. ^ a b Holmes (2001); p. 267
  2. ^ a b c Liddell Hart (1999)
  3. ^ 英仏軍50万、ダンケルクへ総退却(『東京朝日新聞』昭和15年5月31日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p370 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  4. ^ Keegan (1989)
  5. ^ 敗退連合軍の艦船二十六隻、撃沈される(『東京日日新聞』昭和15年5月31日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p371
  6. ^ Liddell Hart (1999); p. 79
  7. ^ Murray and Millett (2000); p. 80
  8. ^ Keegan (1989); p. 81
  9. ^ a b c d Murray and Millett (2000)
  10. ^ ダンケルク陥落、連合軍四万捕虜に(『東京日日新聞』昭和15年6月4日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p371
  11. ^ http://www.francobritishcouncil.org.uk/showdetails.php?pub_id=51
  12. ^ Mordal, J., Dunkerque (Paris, Editions France Empire, 1968. p496
  13. ^ Churchill (1959); p.280


「ダイナモ作戦」の続きの解説一覧

ダンケルクの撤退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)

ウィンストン・チャーチル」の記事における「ダンケルクの撤退」の解説

一方海外派遣軍は英仏海峡到達したドイツ軍によって南フランスフランス軍主力切り離されて、ダンケルク追い込まれた。チャーチルは彼らの全滅覚悟したが、なぜかヒトラーグデーリアンドイツ軍装甲部隊指揮官たちに追撃を許さなかったため、海外派遣軍とフランス軍部隊一部加えた338000人は5月29日から5日間にわたって行われたイギリス本土への撤退作戦成功した(ダンケルクの撤退)。この謎の奇跡イギリス国内はまるで勝利したかのように喜び湧きあがった ダンケルクの撤退成功決定的破滅免れたとはいえ撤退勝利ではなくイギリス追い込まれている状況変わりはなかった。さすがのチャーチルにも弱気覗いてきた。5月28日には親ナチ派のロイド・ジョージ入閣要請しているが、これはドイツ和平交渉提案しなければならなくなった場合備えてのことともいわれる(この入閣要請ロイド・ジョージの方から拒否された)。ダンケルクの撤退成功後6月4日庶民院での演説では「万が一イギリス本土占領されたとしても我々は戦いやめないであろう海の彼方に広がる我が帝国は、新世界から海軍使って旧世界救援解放目指す。」と語りアメリカ支援の期待大英帝国植民地イギリス政府を移す可能性示唆している。 ドイツ軍南フランスへの進軍開始される中、フランス政界では和平派の声がますます強まっていった。チャーチルフランス降伏してフランス海軍力がドイツ接収されるのを恐れるあまり、「フランス艦隊全てイギリスの港に送れ」だの、英仏を「英仏連邦という名の一つ国家にしよう(=フランスの全船舶イギリス共同所有)だの身勝手な要求行いフランス人から顰蹙を買ったイギリスの敗戦時間の問題考えられていたので「死体イギリス)と結合するくらいならナチス占領下入った方がマシ」というのがフランスの政治家・軍人主流意見となった6月16日フランス首相となったフィリップ・ペタン元帥ヒトラー和平交渉意思伝え6月22日にも独仏休戦協定締結応じた。こうして、シャルル・ド・ゴールなど一部亡命軍人除きフランスドイツとの戦いから離脱した

※この「ダンケルクの撤退」の解説は、「ウィンストン・チャーチル」の解説の一部です。
「ダンケルクの撤退」を含む「ウィンストン・チャーチル」の記事については、「ウィンストン・チャーチル」の概要を参照ください。

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