ソロ活動の活発化(2013年~2014年)
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「BIGBANG」の記事における「ソロ活動の活発化(2013年~2014年)」の解説
2013年 2月 - D-LITEが日本ソロデビュー作品のJ-POPカバーアルバム『D'scover』をリリース。オリコンアルバムウィークリーランキング2位(韓国グループ出身ソロアーティストによる1stアルバム史上最高位(男女含め))を記録。 3月 - 6月 - 3ヶ月をかけ、日本武道館・横浜アリーナを含む全国20ヶ所26公演で全国10万人超を動員した初のソロツアー、「D-LITE D'scover Tour 2013 in Japan ~DLive~」を開催。 4月 - 6月 - G-DRAGONが初のソロワールドツアー(8ヶ国13都市27公演全世界57万人動員)の日本公演「G-DRAGON 2013 WORLD TOUR ~ONE OF A KIND~ IN JAPAN」を開催し、「海外アーティスト(ソロ・グループ含む)として史上初の【西武ドーム・京セラドーム大阪・ナゴヤドーム・福岡 ヤフオク!ドーム】4大ドームツアー」、「韓国出身ソロアーティストとして史上初のドームツアー」、「韓国出身ソロアーティストとして史上最多の日本公演動員数(4都市8公演36万1000人動員) 」という金字塔を打ち立てた。 8月21日 - V.Iの2ndミニアルバム「LET'S TALK ABOUT LOVE」が韓国でリリースされ、タイトル曲の「LET'S TALK ABOUT LOVE」が韓国国内でヒットする。 9月13日 - G-DRAGONが4年ぶりとなる2ndフルアルバム『COUP D'ETAT』をリリース。「COUP D'ETAT」「ピタカゲ(CROOKED)」などが収録された。 10月8日 - V.Iが日本ソロデビューアルバム『LET'S TALK ABOUT LOVE』をリリース。 11月15日 - T.O.Pが2ndシングル「DOOM DADA」を発売。自身の代表曲となる。 11月22日 - 「Mnet Asian Music Awards 2013」にて、G-DRAGONが主要三部門の一つ「最優秀アーティスト賞」の他、「最優秀男性歌手賞」「最優秀男性ソロダンス賞」「最優秀ミュージックビデオ賞(COUP D'ETAT)」を受賞。パフォーマンスで披露した「ピタカゲ」の前奏では、6thシングル「MADE SEREIS:D」収録曲「SOBER」の落ちサビ部分が使用されていた。 11月27日 - G-DRAGONが日本ソロデビューアルバム『COUP D'ETAT [+ONE OF A KIND & HEARTBREAKER]』をリリース。 11月~2014年1月 - 海外アーティスト史上初の6大ドームツアー、「BIGBANG JAPAN DOME TOUR 2013~2014 "+α"」を開催。全6都市16公演で自己最多となる77万人を動員した。 2014年 3月12日 - SOLが日本デビューアルバムとなる『RISE [+SOLAR & HOT]』を、T.O.Pが韓国での新曲「DOOM DADA」の日本スペシャルパッケージをそれぞれリリース。 7月16日 - D-LITEが初のオリジナルアルバム『D'slove』をリリースし、自身初のオリコンアルバムデイリーランキング1位(7月15日付け)を記録した。 6月から7月にかけてD-LITEが2年連続ソロライブツアー「D-LITE DLive 2014 in Japan 〜D'slove~」を開催。全8都市15公演で17万人を動員し、韓国ソロアーティスト史上初2年連続10万人動員となった。 8月29日 - 味の素スタジアムで行われた「a-nation stadium fes.」に初めて、各公演のメインアーティストである「ヘッドライナー」として出演した。 SOLが8月から9月にかけてソロツアー「SOL JAPAN TOUR "RISE" 2014」を開催。全6都市19公演で7万人を動員した。10月4日 - 「第17回仁川アジア競技大会」閉会式に出演。V.Iは高熱のため参加できなかった。残りの4名で、「HANDS UP」「BAD BOY」「FANTASTIC BABY」を披露した。 11月15日~2015年1月18日 - 海外アーティスト史上初の2年連続5大ドームツアー「BIGBANG JAPAN DOME TOUR 2014~2015 "X"」を開催。全国5都市15公演で73万人超を動員した。 12月3日 - 香港にて開かれた「Mnet Asian Music Awards 2014」にて、SOLが「EYES, NOSE,LIPS」でBIGBANGとしては2007年以来、ソロとしてはグループ初の「最優秀楽曲賞」を受賞した。また「最優秀歌唱賞」、「最優秀男性歌手賞」も受賞した。
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ソロ活動の活発化
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「スティーヴ・マッケイ」の記事における「ソロ活動の活発化」の解説
『ザ・ウィヤードネス』のレコーディングから閉め出されても、マッケイがザ・ストゥージズから離脱することはなかったが、一方で3rdソロアルバムに向けてのレコーディングセッションを開始した。ザ・ストゥージズのワールド・ツアーの合間に行われたため、レコーディング場所は世界各地に及んだが、ヨーロッパ各国でもニーデガーの人脈が役立った。また、久々にマーク・ランパートともカーナル・キッチン名義でレコーディングを行った。加えて、ザ・ストゥージズのベーシスト、マイク・ワットもこのレコーディングに参加したため、彼の人脈からアイルランドのノイズ・インストゥルメンタル・バンド、エステル(ESTEL)がレコーディングメンバーに顔を揃えている。マッケイとマイク・ワットは非常に仲が良く、3rdソロアルバムに関してマッケイは「半分はマイクの仕事」と語っている。 そのエステルとは自身のソロアルバムとは別に2008年にセッションアルバムをレコーディングし、これは翌2009年にリリースされた。同じ2008年にはパルプのヴォーカリスト、ジャーヴィス・コッカーの2ndソロアルバム『ファーザー・コンプリケーションズ(英語版)』にも参加した。 2009年1月6日、ロン・アシュトンが急逝し、イギーは同じく元ザ・ストゥージズのリードギタリスト、ジェームズ・ウィリアムソンを呼び戻すことに決めた。その正式決定前に、マッケイはウィリアムソンから要請され、彼の練習代わりのライブに付き合うことになった。この様子は後にライブアルバムとしてリリースされた。他にもこの年にはカーナル・キッチン結成40周年記念として、マーク・ランパート、マイク・ワットとともに記念ライブを敢行した。 なお、ザ・ストゥージズではバンドマスターとして呼び戻されたウィリアムソンによって、ライブのセットリストを占める曲目の見直しが行われ、サックスが採用された曲を増やすと共に、原曲にサックスが起用されていない場合は参加可能となるアレンジが加えられ、以降のライブではマッケイはセットリスト全てに参加可能になった。 2010年、この年にザ・ストゥージズはロックンロール・ホール・オブ・フェイムに選出されたが、マッケイとスコット・サーストン(英語版)は正式なメンバーとしては認められなかった。イギーは自身の抗議にも関わらず対象者とならなかったマッケイを慰労するため、3rdソロアルバムに無償でヴォーカルを提供すると申し出た。エステル、マイク・ワットといったゲストに加えて「Ypsi Jim」と名乗るイギーもゲストヴォーカルとして参加した3rdソロアルバム『サムタイムス・ライク・ディス・アイ・トーク(英語版)』は同年8月にリリースされた。そして、マッケイはこの年の10月にマイク・ワットやエステルと共にアイルランドツアーを、11月から12月まで、ザ・ラドン・アンサンブルズを従えてヨーロッパツアーを敢行した。 2011年から2013年の前半にかけては、ザ・ストゥージズでの活動に加えて、ヴァイオレント・ファムズやマイク・ワットの別プロジェクト、ザ・ミッシングメン(英語版)やザ・セカンドメン(英語版)といったバンドへのライブセッション参加を行った。また、スコット・ニーデガーが中国で音楽ビジネスを始めた関係から、2012年に北京でNoji Collectiveというバンドとライブセッションを行った 。また、ジェームズ・ウィリアムソンと共に元トランスヴィジョン・ヴァンプ(英語版)のウェンディ・ジェームズ(英語版)のソロシングル「ユー・アー・ソー・グレイト / イッツ・オールライト・マ」に参加している。これは2012年10月9日にリリースされ、後に彼女のソロアルバム『The Price of the Ticket(英語版)』に収録された。
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