ソロ活動の再開と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 05:46 UTC 版)
約5年余りを務めた後、脱退。ソロ活動を再開し、フュージョンテイストのリーダー・アルバムを発表したが、1980年5月18日、山梨県の河口湖沿いにて車を運転中に事故を起こし、同乗していた阿部晴彦と共に死去、31歳だった。 事故から約1ヶ月後の1980年6月29日、日比谷野外音楽堂で「木田高介・阿部晴彦追悼コンサート」が開かれ、1万人近くのファンが集まった。この日は明け方には地震があり一日中、雨模様であった。北山修(自切俳人)が泣きながら「帰って来たヨッパライ」を、オフコースは「いつもいつも」をアカペラで、吉田拓郎は「アジアの片隅で」を披露した。またかぐや姫は一日限り再結成した。 参加ミュージシャンは以下の通り: ザ・ナターシャー・セブン(高石・坂庭・城田と石川鷹彦)、オフコース(小田・鈴木・大間・清水・松尾)、かぐや姫(南・伊勢・山田)、風(伊勢・大久保)、五つの赤い風船(西岡・長野・東・藤原)、吉田拓郎、小室等、遠藤賢司、斉藤哲夫、下田逸郎、かまやつひろし、イルカ、りりィ(国吉良一+土屋昌巳)、はしだのりひこ、ダ・カーポ、山本コウタロー、五輪真弓、加川良、沢田聖子、ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド(坂庭の弟も出演)、金子マリとバックスバニー、チャー、スピードウェイ、スクランブル・エッグ、上条恒彦、倍賞千恵子、吉川忠英、瀬尾一三、岡本おさみ、喜多条忠。
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