ジロ・デ・イタリア 2008
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ジロ・デ・イタリア 2008(Giro d’Italia 2008)は2008年5月10日から6月1日まで行われた、ジロ・デ・イタリアとしては91回目の大会。開催一週間前になって急遽所属チームが招待されたアルベルト・コンタドールが、区間優勝がないながらも山岳ステージや個人タイムトライアルで安定した走りをみせ、スペイン国籍選手としては1993年のミゲル・インドゥライン以来15年ぶり、またイタリア国籍以外の選手としては1996年のパヴェル・トンコフ(ロシア)以来12年ぶりの総合優勝者の座に就いた。
日程
区間 | 日付 | スタート–ゴール | km | 区間優勝 | 総合首位 | 備考 | |
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1 | 5/10 | パレルモ(チームTT) | 28.5 | スリップストリーム・チポレ | クリスチャン・ヴァンデヴェルデ | 平坦 | |
2 | 5/11 | チェファル - アグリジェント | 207 | リカルド・リッコ | フランコ・ペッリツォッティ | 中級山岳 | |
3 | 5/12 | カターニア - ミラッツォ | 208 | ダニエーレ・ベンナーティ | フランコ・ペッリツォッティ | 平坦 | |
4 | 5/13 | ピッツォ - カタンザーロ | 187 | マーク・カヴェンディッシュ | フランコ・ペッリツォッティ | 平坦 | |
5 | 5/14 | ベルヴェデーレ・マリッティモ - コントゥルシ・テルメ | 170 | パヴェル・ブルット | フランコ・ペッリツォッティ | 中級山岳 | |
6 | 5/15 | ポテンツァ - ペスキチ | 231.6[1] | マッテオ・プリアーモ | ジョヴァンニ・ヴィスコンティ | 中級山岳 | |
7 | 5/16 | ヴァスト - ペスココスタンツォ | 179 | ガブリエーレ・ボジージオ | ジョヴァンニ・ヴィスコンティ | 中級山岳 | |
8 | 5/17 | リヴィゾンドリ - ティボリ | 200 | リカルド・リッコ | ジョヴァンニ・ヴィスコンティ | 中級山岳 | |
9 | 5/18 | チヴィタヴェッキア - サン・ヴィンチェンツォ | 194 | ダニエーレ・ベンナーティ | ジョヴァンニ・ヴィスコンティ | 平地 | |
5/19 休息日 | |||||||
10 | 5/20 | ペーザロ - ウルビーノ(個人TT) | 36 | マルツィオ・ブルセギン | ジョヴァンニ・ヴィスコンティ | 平地 | |
11 | 5/21 | ウルバーニア - チェゼーナ | 193 | アレッサンドロ・ベルトリーニ | ジョヴァンニ・ヴィスコンティ | 中級山岳 | |
12 | 5/22 | フォルリ - カルピ | 171 | ダニエーレ・ベンナーティ | ジョヴァンニ・ヴィスコンティ | 平坦 | |
13 | 5/23 | モデナ - チッタデッラ | 192 | マーク・カヴェンディッシュ | ジョヴァンニ・ヴィスコンティ | 平坦 | |
14 | 5/24 | ヴェローナ - テーゼロ(アルペ・ディ・パンペアーゴ) | 195 | エマヌエーレ・セッラ | ガブリエーレ・ボジージョ | 山岳 | |
15 | 5/25 | アラッバ - マルモラーダ・フェダイア | 153 | エマヌエーレ・セッラ | アルベルト・コンタドール | 山岳 | |
16 | 5/26 | マレッベ - プラン・デ・コローネス(個人TT) | 13.8 | フランコ・ペッリツォッティ | アルベルト・コンタドール | 山岳 | |
5/27 休息日 | |||||||
17 | 5/28 | ソンドリオ - ロカルノ(瑞) | 192 | アンドレ・グライペル | アルベルト・コンタドール | 中級山岳 | |
18 | 5/29 | メンドリーシオ(瑞) - ヴァレーゼ | 182 | イェンス・フォイクト | アルベルト・コンタドール | 平坦 | |
19 | 5/30 | レニャーノ - プレゾラーナ | 228 | ヴァシリ・キリエンカ | アルベルト・コンタドール | 山岳 | |
20 | 5/31 | ロヴェッタ - ティラーノ | 224 | エマヌエーレ・セッラ | アルベルト・コンタドール | 山岳 | |
21 | 6/1 | チェザーノ・マデルノ - ミラノ(個人TT) | 28.5 | マルコ・ピノッティ | アルベルト・コンタドール | 平坦 | |
総距離 | 3.423.8 km |
参加チーム
スタートリスト[2][3]
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※太字はUCIプロチーム。中字はコンチネンタルプロチーム。
最終成績
個人総合成績
選手名 | 国籍 | チーム | 時間 | |
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1 | アルベルト・コンタドール | ![]() |
アスタナ・チーム | 89時間56分49秒 |
2 | リカルド・リッコ | ![]() |
サウニエルデュヴァル・スコット | +1分57秒 |
3 | マルツィオ・ブルセギン | ![]() |
ランプレ | +2分54秒 |
4 | フランコ・ペッリツォッティ | ![]() |
リクイガス | +2分56秒 |
5 | デニス・メンショフ | ![]() |
ラボバンク | +3分37秒 |
6 | エマヌエーレ・セッラ | ![]() |
CSFグループ・ナヴィガーレ | +4分31秒 |
7 | ユルヘン・ファンデンブルック | ![]() |
サイレンス・ロット | +6分30秒 |
8 | ダニーロ・ディルーカ | ![]() |
LPRブレイクス | +7分15秒 |
9 | ドメニコ・ポッツォヴィーヴォ | ![]() |
CSFグループ・ナヴィガーレ | +7分53秒 |
10 | ジルベルト・シモーニ | ![]() |
セッラメンティ | +11分03秒 |
11 | ヴィンチェンツォ・ニバリ | ![]() |
リクイガス | +20分14秒 |
12 | フォルトゥナート・バリアーニ | ![]() |
CSFグループ・ナヴィガーレ | +20分34秒 |
13 | タデイ・ヴァリャヴェッチ | ![]() |
AG2R | +24分02秒 |
14 | グスタフ・エリック・ラーション | ![]() |
チームCSC | +27分25秒 |
15 | パオロ・サヴォルデッリ | ![]() |
クイックステップ | +30分15秒 |
16 | フェリックス・カルデナス | ![]() |
バルロワールド | +30分42秒 |
17 | ホアキン・ロドリゲス | ![]() |
ケス・デパーニュ | +41分27秒 |
18 | リーヴァイ・ライプハイマー | ![]() |
アスタナ・チーム | +45分36秒 |
19 | パオロ・ベッティーニ | ![]() |
クイックステップ | +47分39秒 |
20 | マウリシオ・アルディラ | ![]() |
ラボバンク | +47分43秒 |
ポイント賞
1位 | ダニエーレ・ベンナーティ | 198ポイント |
2位 | エマヌエーレ・セッラ | 138ポイント |
3位 | リカルド・リッコ | 131ポイント |
4位 | マーク・カヴェンディッシュ | 106ポイント |
5位 | パオロ・ベッティーニ | 106ポイント |
山岳賞
1位 | エマヌエーレ・セッラ | 136ポイント |
2位 | ヴァシル・キリエンカ | 63ポイント |
3位 | フォルトゥナート・バリアーニ | 48ポイント |
4位 | フリオ・アルベルト・ペレス | 20ポイント |
5位 | アレッサンドロ・ベルトリーニ | 20ポイント |
新人賞
1位 | リカルド・リッコ | 89時間58分46秒 |
2位 | ユルゲン・ファンデンブルック | +4分33秒 |
3位 | ヴィンチェンツォ・ニバーリ | +18分27秒 |
4位 | クリス・アンケル・ソレンセン | +1時間02分12秒 |
5位 | マシュー・ロイド | +1時間03分55秒 |
チーム時間賞
1位 | CSFグループ・ナヴィガーレ | 268時間52分44秒 |
2位 | アスタナ・チーム | +43分48秒 |
3位 | リクイガス | +1時間00分42秒 |
4位 | LPR | +1時間06分45秒 |
5位 | サイレンス・ロット | +1時間38分13秒 |
ドーピング問題
- 2008年8月5日、ガゼッタ・デロ・スポルトが報道[5]したところによると、同年7月23日に国際自転車競技連合(UCI)が競技外ドーピング検査を実施したところ、エマヌエーレ・セッラにCERA(持続性エリスロポエチン受容体活性化剤=Continuous Erythropoietin Receptor Activator)陽性が発覚。この報道を受け、CSFグループ・ナヴィガーレは即座にセッラに対し、出場禁止処分を言い渡した。
脚注
- ^ 当初265kmの予定だったが、231.6kmに短縮された。
- ^ http://www.cyclingnews.com/road/2008/giro08/?id=startlist
- ^ 当初出場が予定されていたNGCメディカル・OTC(スイス)は、直前にUCIプロチームのアスタナとハイロードの出場が急遽決まったため、選手の総人数が200名を超えてはならないという規定により出場できなくなった。
- ^ No.63 マキシミリアーノ・リチェセは出場せず。
- ^ サイクルスポーツ2008年8月6日号
- ^ サイクリングニュース2009年8月5日付記事(英語)
外部リンク
「ジロ・デ・イタリア 2008」の例文・使い方・用例・文例
- 2008年7月4日、地球は遠日点を通過した。
- スタンダードアンドプアーズ500種指数は2008年以降の最高水準まで急上昇した。
- 2008年の改正で割賦販売法はクレジット会社への規制を強化した。
- 2008年に乳がんのため、乳房を全摘出した。
- この鉄道はペキン(北京)とシャンハイ(上海)の間を走ることとなり,2008年のペキン五輪に向けて建設される。
- 彼女は,「2008年のペキン五輪で他の選手が同じ状態に置かれないよう,自分にできることを考えたい。」と話した。
- アテネ市長が,2008年の五輪開催都市であるペキン(北京)の市長に五輪旗を渡した。
- 2008年のペキン(北京)五輪はすぐやって来る。
- 全事業は,2008年までに完成する予定だ。
- この計画は,2008年まで同校で実施される予定だ。
- 彼女の大きな目標は2008年のペキン(北京)五輪で優勝することだ。
- 彼は,「2008年に事業を開始する計画だ。将来は宇宙ホテルも建設したい。」と話した。
- 2008年ペキン五輪のマスコット
- 2008年ペキン(北京)五輪の公式マスコットが開幕1000日前を記念するイベントで披(ひ)露(ろう)された。
- このイベントは2008年まで毎年開催される予定だ。
- マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長が2008年7月からビル・アンド・メリンダ・ゲイツ基金での慈善事業により多くの時間を費やす予定であることを発表した。
- 現在,彼女は2008年の北京五輪に向けて練習している。
- 松坂投手(26)はフリーエージェント(FA)権を取得する2008年より前に大リーグ入りすることをかねてから希望していた。
- 阪神タイガースの前監督,星野仙(せん)一(いち)氏(60)が2008年のペキン五輪に向けた野球の日本代表監督に指名された。
- 山本選手は,2008年のペキン五輪でメダルを取りたいと思い,アマチュアレスリングに復帰した。
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