シャシー略歴
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「ジャガー・XJR-12」の記事における「シャシー略歴」の解説
それぞれデイトナ、セブリングにはXJR-12Dとして、ル・マンにはXJR-12LMとして参戦している。 288→1090(XJR-9→) - 1990年デイトナで予選9位、決勝2位。セブリングで予選4位、決勝リタイア。セブリング後1090に改番。ル・マンで予選9位から優勝。引退。 388(XJR-9→) - 1990年デイトナで予選10位から優勝。セブリングで予選11位、決勝3位。 190 - 1990年ル・マンで予選7位、決勝リタイア。1991年デイトナは予選中にクラッシュし不参加。セブリングで予選、決勝共5位。1993年デイトナで予選6位、決勝リタイア。 290 - 1990年ル・マンで予選17位、決勝2位。1991年デイトナで予選2位、決勝リタイア。セブリングは予選中にクラッシュし不参加。ル・マンにはサンテックレーシングとして出場。予選28位、決勝リタイア。 990(588、XJR-9→) - 1990年ル・マンで予選8位、決勝リタイア。1991年ル・マンで予選18位、決勝2位。1993年デイトナで予選7位、決勝リタイア。 891 - 1991年ル・マンで予選24位、決勝4位。1992年デイトナで予選7位、決勝総合2位、GTPクラス優勝。セブリングで予選10位、決勝4位。 991(386、XJR-6→) - 1991年のル・マン1レースのみ出場。予選27位、決勝3位。 193 - 1993年にデイトナ1レースのみ出場。予選8位、決勝リタイア。
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シャシー略歴
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「ジャガー・XJR-14」の記事における「シャシー略歴」の解説
591 1991年開幕戦鈴鹿でデビュー。第2戦モンツァでXJR-14の初優勝を記録。第4戦ル・マンまで3号車として使用。以降Tカー。1992年シーズン後半になって再び使用されるようになり、2台エントリーのIMSA第8戦ラグナ・セカでルイエンダイク車として使用。第11戦ロード・アメリカでウォームアップラン中にスピンし大破。退役。 691 192 1991年鈴鹿でデビュー。シーズンを通して4号車として活躍。第3戦シルバーストンで優勝。JSPC第7戦菅生500マイルで優勝。1992年ASTECでモノコックを改修、192に改番しIMSAに参戦。第5戦ライムロックで大破した791に代わって主力車両として活躍。IMSA初戦の第6戦ミドオハイオで優勝。以降4度の表彰台獲得。後、WSC95にリビルド。 791 1991年、第5戦ニュルブルクリンクから3号車として使用。ニュルブルクリンクでデビューウィン。JSPC菅生で9位。1992年はIMSAに参戦。第4戦ロードアトランタでポールトゥウィン。第5戦ライムロックでスピンし大破。退役。 X91 2003年のTWR破産・清算時に、コレクターの希望でASTECで新規生産されたモノコック。イベントやヒストリックグループCレース等に頻繁に顔を見せる。
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シャシー略歴
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「ジャガー・XJR-6」の記事における「シャシー略歴」の解説
185 1985年モスポートでデビュー。最終戦シャー・アラムで2位。1986年プレシーズンテストを以て引退。 285 1985年モスポートでデビュー、3位入賞。その後4戦リタイア。1986年プレシーズンテストを以て引退。 385 1986年モンツァでTカーとしてデビュー。シルバーストンでもTカー。XJR-6LMとしてル・マン出場。予選14位、決勝リタイア。レース出場は1986年ル・マンの1戦のみ。 186 1986年モンツァでデビュー。XJR-6LMとしてル・マン出場。予選7位、決勝リタイア。その後ノリスリンクのノンタイトル戦で優勝。(→XJR-8LM) 286 1986年モンツァでデビュー。シルバー・ストンでTWRジャガーに初優勝をもたらす。XJR-6LMとしてル・マン出場。予選5位、決勝リタイア。その後ノリスリンクで2位。富士で3位。(→XJR-8) 386 1986年ノリスリングでデビュー。ヘレスで3位。スパで2位。1987年シーズン前半はTカーとして使用。(→991、XJR-12LM)
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「ジャガー・XJR-8」の記事における「シャシー略歴」の解説
186 XJR-6からXJR-8LMに改造。シルバー・ストンにテスト参戦後、ル・マンに出場。予選4位、決勝リタイア。(→XJR-9LM) 286 XJR-6からXJR-8LMに改造。ル・マンでは予選5位、決勝リタイア。 187 ハラマでデビュー、5号車として1987年シーズンを戦う。ハラマでデビューウィン。その後モンツァ、富士で優勝。(→XJR-9) 287 ハラマでデビュー、4号車として1987年シーズンを戦う。ヘレス、シルバーストン、ブランズハッチ、ニュルブルクリンクで優勝。(→XJR-9) 387 ル・マンでXJR-8LMとしてデビュー。予選3位、決勝5位。スパで優勝。ノンタイトル戦を含めても3レースにしか出場していない。
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「ジャガー・XJR-9」の記事における「シャシー略歴」の解説
以下3台はXJR-8から改造されたグループC仕様。 シャシナンバー186 - 1988年のル・マン24時間レースの1戦のみに出場。ゼッケン22で予選11位、決勝4位。 シャシナンバー187 - 1988年の開幕戦ヘレスから出場も勝利なし。最後の出場となった1988年ブランズハッチで4バルブエンジンを搭載。 シャシナンバー287 - 1988年はル・マンのみ出場。ゼッケン3、予選12位、決勝リタイア。1989年のル・マン24時間レースはゼッケン4で参戦し予選6位、決勝8位。最終戦メキシコで5位入賞。 以下3台は1987年に製造されたIMSA-GTP仕様。 シャシナンバー188 - 1988年デイトナで予選4位、決勝3位。1988年のル・マン24時間レースにはゼッケン21で参戦し予選9位、決勝16位。1989年デイトナで予選8位、決勝リタイア。第4戦ロード・アトランタの予選でクラッシュ。引退。 シャシナンバー288 - 1988年デイトナで予選6位から優勝、ジャガーにデビューウィンをもたらす。1989年はデイトナで予選2位、決勝リタイア。1989年のル・マン24時間レースにはゼッケン3で参戦し予選4位、決勝リタイア。最後の出場となった第14戦タンパで予選6位から優勝。XJR-12Dに改造された。 シャシナンバー388 - 1988年デイトナで予選2位、決勝リタイア。1989年デイトナで予選7位、決勝2位。IMSAシリーズに2シーズン参戦するも勝利なし。XJR-12Dに改造された。 以下3台は1988年の新製車。 シャシナンバー488 - 1988年ヘレスでデビューしたがWSPCでは全4戦全てリタイヤか予選不通過であった。1988年のル・マン24時間レースにはゼッケン2で参戦し予選6位から優勝、保存車両となった。コベントリ−にあるジャガー・ミュージアムにジャガー・Dタイプと並んで展示されている。 シャシナンバー588 - 1988年ヘレスでデビューし、ハラマ、モンツァ、シルバーストンと3連勝を記録。1988年のル・マン24時間レースにはゼッケン1で参戦し予選4位からリタイア。その後ブランズハッチ、富士で勝利。1989年のル・マン24時間レースにもゼッケン1で参戦し予選3位、決勝4位。1990年にXJR-12LMに改造されそのシャシナンバー990となった。 シャシナンバー688 - シャシナンバー488の代替として第6戦ブルノでデビュー。1989年のル・マン24時間レースにゼッケン2で参戦し予選8位、決勝リタイア。第4戦ブランズハッチでクラッシュし退役。
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