GTPクラス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 04:16 UTC 版)
「国際モータースポーツ協会」の記事における「GTPクラス」の解説
1981年には、新しいプロトタイプカテゴリー、「GTP」が登場した。この車は世界耐久選手権(WEC)で導入された新しいグループC規定と類似したものであるが、2つのカテゴリの主な違いは、燃料使用総量が規制されたグループCと異なり、GTPは燃費について規制が無かったことである。レーシングドライバーのデレック・ベルは「レースファンはエコランを見に来ているのではない」と強調した。他にも、GTPはガソリンタンク容量が20リッター多い120リッターであったことや、ツインターボが禁止されていたことなどがグループC(C1)と異なる。 1984年にはポルシェ・962が導入され、1985年から1987年までシリーズを支配した。この当時のIMSA-GTPシリーズには、ポルシェのほか、ザクスピード製作のフォード・プローブGTP、グループ44製作のジャガー・XJR-7、マーチ製作のBMW-GTP、ローラ製作のコルベットGTP(T610)、日産・GTP(T810)が参戦し、世界耐久選手権を上回る盛況を誇った。 1988年、WSPCを制覇したTWRジャガーが参戦、IMSA-GTPは益々激戦となる。しかしポルシェに代わり王座に就いたのは、エレクトラモーティブが走らせる日産・GTP ZX-Tであった。IMSA新記録の8連勝を含む参戦12戦中9勝の圧倒的強さで、ジェフ・ブラバムがドライバーズタイトルを獲得する。しかしクラシック耐久のデイトナ24時間、セブリング12時間への欠場、および台数のハンデのため、メイクス部門はポルシェにタイトルを死守される。 しかし翌1989年以降3年間はジャガー、ポルシェ、トヨタからの追撃をかわし、日産がシリーズを両部門とも制覇する。 一方でトヨタは1991年終盤にイーグル・MkIIIを投入。このマシンは高い戦闘力を発揮して1992年にダブルタイトルを獲得、1993年にはデイトナ含め、出場したレース全勝でタイトルを連覇した。しかし1991年にFIAがスポーツカー世界選手権をF1振興を目的に軽量シャシー(ハイコストなカーボン前提)に3.5L NAエンジン化(F1参画前提)を発表、これがコストはもちろん、各メーカーのアイデンティティの象徴である自社製エンジンが使えない、ということで他のメーカー次々に撤退。もちろんIMSAにも飛び火し、1993年でGTPクラスは終焉を迎えた。
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