IMSA GTP:1990-93
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「ダイソン・レーシング」の記事における「IMSA GTP:1990-93」の解説
1990年シーズン、ダイソン・レーシングは、北米ポルシェのファクトリー支援チームとしてポルシェとのパートナーシップを更新した。エンジンビルダーのアンディアルの支援を受け、ポルシェ・962C-148で空力が改善され、4度の表彰台を獲得し、フロリダ州タンパでその年唯一の勝利を収めた。タンパの勝利は、GTPクラスでのチームの最後の勝利となった。 チームは1991年に962Cをベースにしたシャーシ(DR2)を開発したが、組織の再編成が必要であると感じた。 1992年、IMSA-GTPでのパートナーシップについて、マツダとの話し合いは実を結ばなかった。そしてチームは1992年のIMSA GTに参戦しなかった。1974年以来初めてロブ・ダイソンはハンドルを握らなかった。 1993年シーズン、チームは最後の年となるGTPクラスのデイトナ24時間レースで、ロブ・ダイソン、ジェームス・ウィーバー、プライス・コブ、エリオット・フォーブス・ロビンソンでポルシェ・962C-148を復活させ、GTPクラスで総合5位クラス2位でフィニッシュした。ダイソン・レーシングはジェームス・ウィーバーがファイアストン・インディ・ライツに6戦参戦した。
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